特別インタビュー|日本舞踊家・歌手・三味線奏者 花園直道氏 1

特別インタビュー|日本舞踊家・歌手・三味線奏者 花園直道氏 1

幼い頃から身に付けてきた日本古来の民族芸能の技が自分の強みです。長い歴史のある日本文化の素晴らしさを、日舞パフォーマーとして、海外でも伝えていきたいと思っています。

米国カラオケ紅白歌祭へは2度目のゲスト出演ですね。

 はい。去年、初めての公演先だったのにも関わらず、LAの皆様に温かく迎えていただき、想い出に残るステージを作ることができました。今年も紅白歌祭りに来られることを楽しみにしておりました!

日本舞踊はいつごろから?

 稽古を始めたのは、小学生の時です。母がずっと、五大流派の一つである坂東流の教室に通っていて、物心ついた頃からその稽古を見ていました。子供なりに舞いを真似したりするうち、踊りに対する興味を持つようになったんです。普通ならサッカーだ、野球だって年なのに、僕は日舞に夢中になって。11歳のときに正式に稽古を始め、17歳で坂東蔦之龍の名前をいただき、坂東流の名取になりました。

初めての舞台はいつ頃?

初めての舞台はいつ頃?

老若男女問わず、観るものを惹きつける迫力のステージ

スラリとした長身に、鮮やかな色の着物がよく映えて、女性からは黄色い声の声援が。確かな技に基づく踊りも見事

 14歳の時です。大衆演劇「新星劇団」の山田隆二さんの公演に出演させていただきました。日舞ではバックに三味線の音を使うことが多いのですが、それで津軽三味線にも興味を持つようになり、14歳の頃から、山田さんのもとで三味線の稽古を始めたことがきっかけでした。山田さんの次男、光太郎さんが僕とたまたま同い年で、同じように日舞と津軽三味線の稽古をしていたんですね。初舞台を終えた後、今度は光太郎さんと2人でコンビを組み、全国の老人ホーム、地域センターなどを訪れ、お客様の前で踊りと三味線を披露するようになりました。

 プロとして舞台に立つ以上、14歳だから、という言い訳は通用しませんからね。2人で公演先のお客様に気に入っていただけるよう、演目を必死で考えました。一生懸命稽古で芸を磨き、その芸を活かした演出の仕方を自分で考え、お客様の前で披露する。努力した分、目の前でお客様に喜んでいただけた時の昂揚感、充実感は何ものにも代えがたいものでした。この時期に、現在の花園直道の基本が出来上がったと思っています。

初めての海外公演は?

 16歳の時です。歌手の原田ヒロシさんのハワイ公演に出演させていただきました。ハワイのお客様は、日系アメリカ人の方や日本を離れて長い方が多く、古典的な日舞や津軽三味線、古い日本の歌謡曲などを使った演目をとても喜んでくださり、客席ともども大変盛り上がったステージだったことを覚えております。その後も、パリの地元音楽祭に出演したり、ラスベガスのサーカス・サーカスの舞台に立ったり、海外公演は何度か経験しております。


日本舞踊家・歌手・三味線奏者 花園直道氏

Naomichi Hanazono■1988年8月19日東京生まれ。11歳の頃より坂東流の日本舞踊を習い、17歳で坂東蔦之龍として名取となる。14歳より津軽三味線も習い、日本舞踊と三味線を披露して、全国各地、海外でも公演を行うようになる。日本舞踊に様々なジャンルの踊りを融合させた、斬新な「和のエンターテイメント」としての舞台演出を作り上げ、自ら邪派新姿(ジャパニーズ)と名付ける。各界からも注目を集め、共演した芸能人からのファンも多い。花園直道としての公演の他、劇団「華舞斗~KA・BU・TO」の座長としても活動中。中野サンプラザでのワンマンコンサートでは2222人の観客を動員し、日本橋三越劇場でも、5回の座長公演を連日超満員で成功させている。他にも、2本のラジオ番組レギュラー、テレビ番組への出演など、多忙な日々を送る。2014年3月、LAに於いて単独公演を予定している


日本舞踊と津軽三味線を武器に、海外に挑む!〜その2〜へ


2013年10月号掲載