沖縄で魅了された着物との出逢い

沖縄で魅了された着物との出逢い
Photo by Kentaro Terra

 最初に着物に魅了されたのは13歳の時、十三参りという祝事で着物を着たのがきっかけです。また姉や母が着物好きだったので、その影響もあるかもしれません。沖縄出身なのですが、場所柄、国際的なパーティーやイベントが多く開催されるので、成人してからは、ボランティアとして積極的に参加し、着物を着る機会に多く恵まれました。当時はまだ自分で着物を着られず、美容室で着付けてもらっていたので、パーティーで外国人のお客様に、「どうやって着るの?」と聞かれても、答えられませんでした。その後、ハワイに住んでいた時に、以前からファンだった美容家山野愛子先生のサインを見つけ、日本に帰ったら着物を学びたいと思いました。

 そして帰国後、着物の勉強を始め、1992年に最初の着付師資格を取得しました。山野先生は厳しくも優しい素晴らしい方。先生の下で、山野の5大原則、「髪、顔、装い、精神美、健康美」を深く学ばせていただきました。着物を通して、生活にとって大切なことを学び、また生活の中で学んだことを着物に生かしていくという考え方は、今の私にとって大切な基本になっています。

 その後、沖縄でエステティックサロンを経営しながら、琉美美容専修学校で着付けの講師を務め、またテーブルコーディネートのソーシャルクラスを開講して教えていました。いつもお客様や生徒さんに囲まれ、仕事も順調でしたが、以前から海外と接点が多かったためか、「このままここにいていいのだろうか」という気持ちが日増しに強くなっていきました。そしてとうとう38歳の時、思い切って渡米を決意しました。

アラフォーでの渡米ラスベガスで初めての仕事に挑戦

アラフォーでの渡米ラスベガスで初めての仕事に挑戦

2013年の伝達式で山野愛子ジェーン宗家と

 最初は英語の勉強のため、従姉がいたラスベガスで暮らし始めました。すると幸運にも、ベラージオホテルの日本食レストランがフロントホステスを探していると紹介をいただき、面接のチャンスを得ました。こういった仕事の経験はありませんでしたが、接客には自信があったので、「トレーニングしてもらえれば、期待に応える成果を上げます!」と堂々と答えたら、見事に採用されました(笑)。

 そこからは、ラスベガスのこと、ホテルのことを隅から隅まで必死で勉強しました。一日400人は訪れるお客様の接客もさることながら、世界的に名の知れた方から大実業家まで、VIPが非常に多かったので、テーブルのアレンジや人員配置にはかなり神経を使いましたね。私の仕事は接客とマネージメントでしたが、それに限らず店内で自分にできる仕事は何でも積極的にしました。世界の一流の方々を接客するお仕事ができたのは人生の中でとてもいい経験でしたね。

 着物の仕事からは離れていたものの、「山野」の本部や宗家の山野愛子ジェーン先生とは親交があり、アメリカに来られる度にお会いしていました。そのうち、ロサンゼルスの方々から、着物を習いたいけれどちゃんと教えられる人がいないという声を聞くようになりました。ベラージオの仕事は条件も良く何も不満はなかったのですが、勇気を出して方向転換を決意。再び着物の世界に戻ることにしました。

きっかけはヴォーグの撮影着物のプロだからわかること

きっかけはヴォーグの撮影着物のプロだからわかること

ヴォーグに実際に掲載された押元さんがアレンジした作品

 2005年に山野流着装教室カリフォルニア支部事務局長に就任しましたが、しばらくの間はラスベガスに住みながら、定期的にロサンゼルスに来て教えていました。コスチューム・デザインの仕事に足を踏み入れたのは2008年、ジャパン・ヴォーグの撮影の仕事が入ってきたのがきっかけです。専門的に着物のスタイリングができる人を探していたエージェントからの依頼で、撮影場所はハリウッドのモーテル。部屋にセットを作る美術担当がいて、フランス人のカメラマンとスタイリスト、イギリス人のメイクアップアーティストに、NYのヘア担当、有名なフランス人のモデルさんを迎えた大きなプロジェクトでした。

 私はその中で衣装のアシスタントというポジションでしたが、撮影時、世界中から有名なスタッフが揃っているにも関わらず、順調に撮影が進まないのです。カメラマンが写真を撮ろうと思ってもなかなか自分が思うものができず、スタイリストが色々アレンジを変えても納得いかない様子でした。困ったスタッフたちが何か上手くアレンジできないかと私に頼んでくるので、帯をモデルに直接締めずにアレンジして置いてみたところ、それが採用され、私のアイデアで撮影がスムーズに進行することができたんです。着物をどう見せることが1番効果的で、品があって、色気が出るかなどということは、やはり着物の専門家じゃないとわからないんだなと感じた出来事でした。

ミスユニバース日本の衣装を担当し世界第5位に

ミスユニバース日本の衣装を担当し世界第5位に

製作はすべて押元さん自ら手作業、クリスタル1つ1つにも魂を込めていく

 2013年のミスユニバース世界大会で、日本代表の衣装を担当したことも大きな経験になりました。これまでに、ロサンゼルスでの着物のショーやパフォーマンス、ミスアジア日本代表のコスチューム・デザインなどの実績があったので、こちらからオファーを出したところ選ばれました。9月に行われたモスクワ世界大会のための衣装を担当しました。

 伝統的な着物は素材や柄自体に品があって華やかですが、世界の様々なコスチュームと張り合ってステージの上でインパクトを出そうとすると、あまりにも大人しいんですね。舞台に立つ数秒の間に注目を集め、華やかだけど品格を落とさないデザインが必須です。

 そこで十二単をモチーフに、その品格を残しつつモダンに仕上げました。700個以上のクリスタルをあしらい、動くとキラキラと輝きます。後ろ姿は大きな扇に描かれた桜の木から花びらが舞い落ち、テールは花びらの絨毯のイメージです。当日は、テレビの中継をワクワクして見ていたところ、全体では予選落ちでがっかり。残念な気持ちで最後まで見ていると、コスチュームの順位発表で何と、86カ国中5位に選ばれたんです。過激なくらい派手な各国の衣装ばかりを見て、優しすぎるデザインに見えるかもしれないと思っていたので、大変驚きました。モデルさんの持ち味を活かしてナチュラルな美しさを出しつつ、品位を保つような衣装を心掛けたのが良かったのかもしれません。日本の着物でこれまでに選ばれた歴代最高位だったそうで、とても嬉しかったですね。

夢は掴まなければ意味がない大切なのはビジョン

夢は掴まなければ意味がない大切なのはビジョン

毎週自社スタジオで撮影を行っている

 現在はノースハリウッドにオフィスとスタジオを持ち、出張着付け、和装結婚式、成人の祝いや七五三などの撮影、衣裳レンタルなどを行いつつ、コマーシャルや映画、テレビなどの衣装デザインの仕事も増えてきました。コスチューム・デザイナーズ・ユニオンのメンバーになれたので、そこからの仕事も今年は注力していきたいですし、ウエディング関係も興味がありますね。先日はビクトリアズ・シークレットのモデル、ミランダ・カーさんと仕事をしました。日本のコマーシャル撮影で、5月から放映予定です。

 私の強みは日本人であること。日本人にしかわからないものを西洋の文化とうまくブレンドしていきたいです。沖縄出身なので沖縄らしい色使いや、音楽、建築などへの造詣から学んだセンスが私のスタイルになっていると思っています。何でも「ノー」と言わず一生懸命受け入れきた結果が今の私なんです。あるところまでしかない可能性を、周囲の皆さんの求めによって広げていただいてきたと思っています。

 着付けでは資格を取ったお弟子さんが40人以上おりますが、先生方の講習会では、「生徒さんがいるからこそ、お月謝をいただけるし〝先生〟と呼んでもらえることを忘れないでほしい」と伝えています。教える者は、決してその立場に慣れてしまってはいけません。教えることで学ぶことがたくさんありますので、そこに感謝の気持ちを忘れてはいけないんです。

 夢は誰でも見ることはできますが、掴まないと実現しません。そして夢を実現するためには、ビジョンがとても大切になってきます。結婚することでも着付師になることでも、夢のジャンルは何でもいいのですが、ビジョンが世界に向いているか、日本に向いているかによって、方向や、やるべきことが変わってきますよね。

 例えば私の場合、デザインの斬新さについて、日本人には賛否両論言われますが、世界レベルで考えると、それほど斬新でもないんです。私は世界をビジョンに見据えていて、世界レベルに合わせてデザインしているだけなのです。ですから、他人に惑わされない揺るがないビジョンを持ち続けることが大切になってきます。

 そして人に対してもモノに対しても感謝の気持ちを忘れないこと。信じることが大切です。確かに、アメリカで夢を実現するためには生活やビザの問題など厳しいことにも直面します。でも、語学留学で来たとしてもいつどんなチャンスが来るかは誰もわかりません。諦めたらそれで終わり、それまでの夢だったということです。

年齢に関係なく可能性は常にある

年齢に関係なく可能性は常にある

(左上)2013年のミスユニバース世界大会で世界5位に選ばれた日本代表のナショナルコスチューム

(右上)デザインと製作、そしてスタイリングを担当したヴォーグ・イタリアの作品。ここにも着付け技術が活かされている

(右下)海外でも精力的にショーを開催。2013年3月にブラジルのサンパウロ美術館で行われたファッションショーより

(左下)テレムンドで放送中のもやしのTVコマーシャルでも、コスチューム・デザインを担当した

 世界で活躍している人って80歳、90歳でも現役なんですよ。70歳を過ぎてリタイアしてからもチームを持ってF―1の撮影をしている知り合いの日本人カメラマンがいます。彼にお会いした時に、「もう年で…」という話をしたら、「僕ですら70歳でBabyと言われているのに!」と怒られました。年齢に関係なく可能性は常にあると思っています。私もまだまだ。もっと勉強しないといけないし、その世界でやっているからといってできているわけじゃない。それに、できたと思うとそこで止まってしまう。だから一生進み続けないといけないですよね。


コスチューム・デザイナー、着付け師 押元末子さん

Sueko Oshimoto■沖縄県出身。1992年、初代山野愛子氏から着付師資格を取得後、琉美美容専修学校で着付け講師を務める。エステサロンオーナーとして活躍する傍ら、テーブルコーディネート、建築、カラーコーディネート、フラワーアレンジメント、華道、日本舞踊などの技術を幅広く習得。99年に渡米し、ラスベガス・ベラージオホテルのダイニング勤務を経て、2005年に山野流着装教室カリフォルニア支部事務局長に就任。現在はハリウッドにてSUEHIRO AGENCYを立ち上げ、出張着付け、和装結婚式・成人の祝い・七五三などのスタジオ撮影、衣裳レンタルなどを展開するほか、アカデミー賞などのVIPの着付け、CMや映画、TVドラマの仕事も多く手掛ける。13年3月にブラジルのファッション学校の招聘で着物のショーとレクチャーを開催。9月のミスユニバース日本代表の世界大会用衣装デザインを担当し、コスチューム部門5位に入賞。コスチューム・デザイナーズ・ユニオン会員
【SUEHIRO AGENCY公式ウェブサイト】suehiro-kimono.com
【押元末子公式ウェブサイト】suekooshimoto.com
【押元末子公式ブログ】suekooshimoto.blogspot.com


2014年02月号掲載