木の可能性を見出す。廃材から生まれるインスピレーション

木の可能性を見出す。廃材から生まれるインスピレーション

 直近の個展は、岡山県の井原市立田中美術館で開催された『砂漠からの風 Santa Ana Wind』。第26回平櫛田中賞受賞記念として、今年の1月24日から3月16日まで行われました。海外で活動する造形作家の受賞は初めてということで、大変光栄に思います。今回の個展用に、アメリカから約50点の作品を船で運んだのですが、なかには4メートル以上の高さがある『砂漠の木』や『弱虫ドラゴン』などの大作も多数ありました。

 90年代半ばから、日本の美術館や画廊で個展を開くことが多くなってきたものの、僕の創作活動の拠点は、あくまでもロサンゼルス。普段はサン・ガブリエル市内の工房で、ひたすら創作に打ち込んでいます。材料はすべて木。しかもほとんどが残り材や廃材です。木を重ねて圧縮して塊を作ったり、加工もすべて自分で行います。作業で使用する機器は、万力やバンドソー、のこぎり、のみなどで、一見すると、工房というより大工の作業場みたいでしょ(笑)。

 材料は近辺から調達することが多いです。例えばここにあるのは、ワシントン州やオレゴン州でよく見られるアラスカン・イエローシダーです。日本の檜に似ていて香りもいいんですよ。とても高価な木ですが、実はこれ、サン・マリノ市のハンティントン・ライブラリーにある日本庭園の橋を一部取り替えた際に出た廃材なんです。ひびや節を取り、丁寧に加工してから、ブロックなどと合わせて、空間にアプローチするような作品にしようと考えています。

 材料となる木は、種類によって固さや色もさまざま。おまけに実際に使うのは残り材や廃材ですから、大きさも厚みもばらばらで、ペンキが残っていたり、ところどころに穴が開いていたりすることもある。でもね、だからいいんですよ。手で触り、切ったりしているうちにだんだんそれぞれの“性格”がわかってくるし、どうやって木の可能性を広げるか、どんな作品にしようかとイメージがどんどん湧いてくる。店で加工されたキレイな板ではインスピレーションが生まれないんです。僕の場合、作品のイメージが先に来るのではなく、材料からイメージを作り出すんです。だから材料によっては、創作過程で苦しんだり、なかなか進めない時もある。でもこれを乗り越えないと次には繋がらない。その繰り返し。もちろんそこがクリアになった時は、一瞬にしてそれまでの苦労を忘れてしまうほど、楽しくて仕方ないんです。

 創作は手作業なので、1つの作品ができあがるまでに、ひと月やふた月かかることもざら。ずっとその作品に向かい続けるより、あえて距離を置くことが必要な時もあります。一度手放すことで、材料も僕も、より熟すことがあるんですよ。

妻の放った一言で大決断。造形作家として独り立ち

妻の放った一言で大決断。造形作家として独り立ち

(左)妻で造形作家の恵智子さんと

(右)『弱虫ドラゴン』(2012年)。割った廃材と楓の木によるフレーム(アメリカ菩提樹)を使った作品

 ロサンゼルスで活動するようになったのは、一言でいうと“成り行き”(笑)。高校を卒業してから就職したものの、教師になろうと金沢の美大に入学。その後、東京の大学院在籍時に、故郷・新潟の母校が建て替えられることになり、村長に依頼されて作品を寄贈したのが、造形作家としての第一歩かな。卒業後は、高校の非常勤講師などをしながら作品を作っていました。

 29歳の時に、妻と共にメキシコに渡り、メキシコシティの美術学校に通うことに。週末ともなれば、2人で美術館や歴史的建造物を巡りました。著名な日系人壁画家ルイス・ニシザワ氏とは、この頃の出会いが縁となり、彼が台東区の京成上野駅に陶板壁画『風月延年』を設置した際に、レリーフの模型を作る手伝いをしました。

 その後一旦、日本に帰国。再びメキシコに渡り、現地で車を買って、アメリカを観光して帰ろうかとロサンゼルスに来たのですが、お金がなくなり大工の仕事で日銭を稼ぐことになったんです。ところが車を盗まれ、日本に帰るどころじゃなくなってしまった。ダウンタウンに工房を借りて、大工と創作活動の二束のわらじ生活を5、6年は続けたかな。そのうち、思いのほか大工の仕事が増えて忙しくなり、さらにジェネラル・コンストラクターのライセンスを取らなければならない状況になってきたんです。

 そこでこんな中途半端な状態ではダメだと一念発起し、大工の仕事をきっぱりと辞めることにしました。創作活動一本に絞ったとはいえ、やはりそれだけで食っていくのは、非常に難しい世界です。背に腹は代えられぬと、たまにアルバイトしながら懸命に創作を続け、1987年ごろから、ようやくハリウッドの画廊で取り扱ってもらい、作品が徐々に売れるようになりました。

 大工と造形作家―いつかどちらかを選ばざるを得ないという気持ちもありましたが、妻の後押しも大きかったですね。僕が悩んでいたら「私は大工と結婚したわけじゃないのよ」と一喝。実は、妻も造形作家で、紙を使った創作活動を行っているのですが、芸術の苦しみも現実も理解してるからこそ、言えた言葉なのかも。まぁ、今となっては“理解”なのか“意地”なのかわからないけど、男って窮地に立たされると、情けないほどふにゃふにゃしてるもんだと実感したものです(笑)。

俯瞰で捉える輪郭。自分を信じることで道は開ける

俯瞰で捉える輪郭。自分を信じることで道は開ける

(左)井原市立平櫛田中美術館での個展初日(1月24日)。アーティストトークの様子

(右)新国立美術館で行われた「2009年アーティストファイル展」での展示風景

 僕の作品を購入するのは、アメリカ人がほとんど。それもユダヤ系の方が多いかな。画廊関係者が工房にお客さんを連れてきて、展示していた作品を買ってくれることもありますが、お客さんから創作の注文をいただくこともあります。ところが前述の通り、僕は残り材や廃材がないとインスピレーションも湧かない。既存の作品を勧めても、お客さんの好みもあるから交渉は上手く行かないんですよね。注文を受けても作れないことの方が多いし、お客さんがあきらめちゃうこともあります。

 創作というのは、非常に繊細で、例えば以前作った作品を、同じような材料を使って作っても、何かが違うんです。ビジネスとして考えるなら、そこは割り切って作ればいいのだろうけど、僕にはそれができないんですよ。この世界でも、上手く立ち回れることができる人は成功している。芸術とビジネスのバランスはとても難しいです。生きていくにはお金も大切ですから。でも不思議とこれまで、ツライと感じたことはありません。芸術の道が苦しいのは、初めからわかっていたからかもしれませんね。

 最近聖書を読んでると、これまで理解できなかったことが、ふと腑に落ちる時があるんです。僕はクリスチャンではないから、宗教のことはあまりわからないし、聖書の世界と現実は異なるけれど、人間にとって大切な『原初への回帰』が描かれているというか。僕がアメリカで造形作家になったのは運命かと言えば、決してそんな大それたもんじゃない。ただそこにある状況に100%身を投じただけ。疑いと自信のどちらをとるか。躊躇してやってると失敗すると思うんです。聖書曰く『少しもそれを疑わず、自分の言うとおりに成ると信じるならば、その通りに成る(マルコ伝11章23節)』。まさにその通りだと思いませんか。

 また俯瞰で物事を見ることも大切ですね。僕は休みの日になると、山に行くことが多いのですが、頂上から街を見下ろすと、ビルや森もすべてがきれいにまとまり、1つの輪郭になっているのがわかる。下界にいたらこうはいかないですよ。ビルの周りのスモッグや渋滞の車、森にだってゴミが捨てられているのが、いやでも見えてくる。つまり下界の視点では煩わしい悩みが尽きない。でも頂上から悩みの輪郭を捉えれば、意外にもシンプルに、自分のやりたいことが見えてくるはずなんです。

「六十、七十は、鼻たれ小僧」止まらずに。前へ前へ

「六十、七十は、鼻たれ小僧」止まらずに。前へ前へ

(左)2009年に東京の村松画廊で開催された個展「石化する人々」にて

(右)『砂漠の木』(2008年)。割って折った廃材。楓とブナ科コナラ属の木によるフレーム(写真中央)

 いつかは茶室を作りたいと思っています。残り材や廃材を使いながら“侘び寂び”を表現したい。アメリカ暮らしは30年を超えますが、やはり僕の原点は日本にある。在米邦人のなかには、西洋文化の要素を得て発展する人と、日本に回帰しながら成長する人と、2つのタイプがあると思いますが、僕は断然後者ですね。何百年もの歴史を誇る茶室は、むしろ今も進化し続けていると思います。

 造形作家としての目標は、これまでも、そしてこれからもひたすら創作活動を続けていくこと。止まらずに作り続け進化する―それしかないです。冒頭に名前の出た平櫛田中は、107歳で亡くなった彫刻家ですが、自身の著書で「六十、七十は、鼻たれ小僧。男ざかりは百から百から」と綴っています。僕もやっと60を超えたばかりです。特に日本に住んでいると、年齢がブレーキになることがあるようですが、まったくナンセンスだと思います。年を重ねた分、それなりの力を発揮すればいい。年齢を理由に諦めたり、止まってしまってはそれで終わり。止まりそうになっても、その都度、軌道修正して前へ前へ進みたいですよね。

 若い人にアドバイスをするような立場じゃありませんが、自分が選んだ道は何があっても進むしかない、と信じ込んで欲しい。当然、不安を抱きながら進むのはダメ。それから人に悩みを話しても不安を増長するだけだと思う。自分の世界で自問自答し、不安と決別すること。何が本当にしたいのかを考えること。妻から言わせれば、僕は幸せもんですよ。やりたいことしかやっていないから(笑)。でもそれでいいと思うんです。


造形作家 大平實氏

Minoru Ohira■1950年新潟県生まれ。高校卒業して、一旦就職した後金沢美術工芸大学彫刻科に入学。1974年、新制作展新人賞受賞。翌年大学を卒業。1977年、東京芸術大学大学院彫刻科修了。非常勤講師等を経て、1979年メキシコに渡り、1981年までメキシコ国立芸術院美術学校エスラメルダ校に在学。その後一度帰国し、1982年に渡米。大工として働きながら、作品作りに励む。1987年頃から創作のみに絞り活動。ローサ・フェイテルソン財団賞(1986年)、北海道立旭川美術館賞(1996年)、第36回中原悌二郎賞(2009年)など受賞歴多数
大平實ウェブサイト: www.minoruohira.com


2014年06月号掲載