雄大な自然に囲まれて

雄大な自然に囲まれて
Photo by Gene Shibuya

 出身は鹿児島県、良質な温泉で有名な霧島で生まれ育ちました。私の場合、生まれた場所の風土が人格形成に影響している、という点は自他ともに認めるところです。お国自慢になってしまいますが、鹿児島県人は鹿児島がなければ、日本の近代化は始まらなかったと自負している人が多いように思います。鹿児島が近代日本の礎になったのだと。幕末から明治の動乱期に関する歴史は、学校でも家庭でも真剣に教わりました。そして、学びの中心となっていたのが、西郷隆盛と大久保利通。西郷隆盛は、鹿児島県人にとって「心の父」のような存在です。西郷隆盛の教えは、たくさんの本にもなっていて、一般的に広く知られるところかとは思いますが、そういう偉大な存在をただの歴史上の一人物としてではなく、まるで親戚の叔父さんか何かのように身近に感じながら、その生き様からたくさんのことを学べる環境にいました。とても恵まれたものでしたし、自分の人格に多大な影響を与えていると思います。

 もう1つのお国自慢が桜島。あの雄姿を毎日拝んでいると、気持ちも大きくなり、自然に対する畏敬の念を持つことができました。都会暮らしではなかなか得られない感覚かもしれませんね。雄大な桜島は私の故郷として、常に心のどこかに存在しています。

窮地を救われたヤクルトとの縁

窮地を救われたヤクルトとの縁

シンガポール、そしてロサンゼルスと、長い海外での生活を支えてくれているご家族と一緒に

 高校までを鹿児島で過ごし、大学入学と同時に上京。卒業したらすぐ鹿児島に戻るつもりでいたので、就職先は鹿児島で考えていました。鹿児島にある地方企業にほぼ内定が決まっていたのですが、ふと思い立って最後の最後でヤクルトも受けることにしたのです。

 私が物心ついた頃から母親がずっとヤクルト製品の訪問販売をするヤクルトレディーをやっていたんですね。ですから、子供の頃からヤクルトは身近な存在ではあったのですが、自分自身とヤクルトを結びつける決定的な事件が小学校1年生の時にありました。命を救われた、というと少し大げさですが、ヤクルトのおかげで窮地を脱するという経験をしたのです。

 鹿児島はキンカンの産地で、私が子供の頃はキンカン漬けという郷土料理をどの家庭でも作っていました。我が家も御多分にもれず季節になると母親が作っていたのですが、ある朝私は、母親が買ってきた大量のキンカンが台所に置いてあるのを見つけたんです。周囲には誰もいない。とにかく私はキンカンが大好きだったので、母親の目を盗んで1つ、2つと食べるうち、気がついたら、大きな袋の半分以上食べてしまっていました。よっぽどお腹が空いていたんですかね(笑)。

 食べた直後は大丈夫だと思ったんですが、学校に行った後、みんなの前で思いっきり吐いて、そのまま気を失ってしまったのです。お腹が発酵したかのようにパンパンに膨らんでいました。今で言う保健室のようなところに寝かされて、母親が呼ばれ、重症だと思った先生が医者も呼んでくれて…。処置として浣腸をしたらしいのですが何も出てこず、私は失神したままだったらしいのです。先生、医者、母親でどうしたものかと思案していた時、母親がふと、ヤクルトの原液を飲ませることを思いつき、仕事先だった垂水(たるみず)というところにあるヤクルトの工場に行って、特別にヤクルトの原液である乳酸菌シロタ株をそのままもらってきたのです。失神した状態で無理やり飲ませたんですね。しばらくしたら意識が戻り、トイレに行くことができました。苦しかったお腹がすっきりして、子供ながらにヤクルトに救われたんだと思いました。

 その時の思いが非常に強く残っていたので、就職の最終決定をする際、ヤクルトを受けてみたくなったんですね。もう募集は終わっていたんですが、母親のツテで試験を受けさせてもらえることになり、トントン拍子で就職が決まりました。何か深い縁を感じるせいか入社以来37年ヤクルト一筋、転職を考えたこともありません。

さまざまな部署を経験

さまざまな部署を経験

エンジェルスの2014年の年間カレンダーに掲載されたチェアマンDennis Kuhl氏との写真(中央)、右から2番目が清水社長

 入社後まずは、ヤクルトの基本である宅配の販売会社に出向しました。そこで自社商品の知識から販売システムまで、現場を通じて徹底的に覚えました。日本のヤクルトは当時も今も、ヤクルトレディーがいてこそ成り立つ部分があります。それぞれのヤクルトレディーが築いているお客様との信頼関係がヤクルトの芯の部分を支えてくれている。私にとっても、子供の頃から母がやっていた仕事でしたから、販売会社にいた4年間は社会人として鍛えられたのと同時に、どこか母と同じように自分が本当にヤクルトの人間になっていくように思える時期でもありました。

 その後、当時売り上げが急激に伸びてきていた量販店を担当する「チェーンストア課」というところに異動しました。昭和50年代、ちょうどイトーヨーカドーやダイエーなど大型量販店が急成長してきた時代で、食品販売業界の最先端をいく分野だったので仕事が面白くてたまらず、どんどん知識を吸収していきましたね。当時、新しい商売の形として量販店業界に関する情報もメディアで数多く取り上げられていて、本も片っ端から読み漁りました。

 取引先であるジャスコが主催していた海外研修にも参加し、初めてロサンゼルスに来たのもこの頃です。ウォールマートやコスコ、ターゲットなどを周り、販売のシステム、商品の陳列の仕方などを見て、大変な刺激を受けたことを覚えています。アメリカに来て初めて、桁違いに大きいスーパーマーケットに入った時は、皆さん少なからず驚かれることと思うのですが、個人商店が中心だった当時の日本の小売業の常識を持って初めてアメリカの大型店を見た時はかなりの衝撃でした。食品販売の未来を垣間見たようにも思いました。

 チェーンストア課の後は、関東支店の直販部という部署に異動しました。ここで担当したのが、遊技関連事業の顧客へ景品としてヤクルト商品を卸す仕事でした。遊技関連事業とはつまり、パチンコ店のことです。業界自体の規模が大きいので、直販部における売り上げだけで、当時でも100億円以上という大口の取引でした。この頃には既に営業マンとしての経験も積み、社会人としても自信を持って仕事をしていました。でも、遊技関連事業の業界は他の業界とはまったく違う、独自のシステムやルールを持っており、一から学ばなければならない部分が多くて苦労の連続でした。誰も正論を教えてくれませんから、失敗を繰り返しながら業界のルールを学び、相手の顔を立てながらこちらの要求を受け入れてもらう、というネゴシエーションの手法も、経験を通じて少しづつ会得していきました。

大切なのは決断と行動

大切なのは決断と行動

今年5月23日に行われた新カリフォルニア工場除幕式で

 勤めている会社はヤクルト一筋ですし、扱っている商品もヤクルト商品だけですが、取引をする業界、顧客が変わることで、まるで違う会社に入ったかのように、さまざまな経験をし、豊富な知識を得ることができたのはラッキーなことだったと思っています。でも私の持論は、知識を得ることは最終目的ではなく、それを使って行動することが大事だということです。知識を得ることはそれほど難しいことではありません。でもそれを使って行動する、というのはなかなか難しい。自分が動かないと何も始まらないし、行動するためには決断が必要になる。ですから何かを経験し、そこから得た知識を使って決断し、どう行動に移すか。そこに自分の勝負どころがあるのではないでしょうか。

ヤクルトの効用を伝えていく

ヤクルトの効用を伝えていく

工場の竣工式に来場したゲストへのお土産として、エンジェルスの人気選手のサインボールが配られた

 2001年5月、初めての海外赴任はシンガポールヤクルトでした。ちょうどSARSが発生した時期です。普通ならテロやSARSなどの社会的動乱が起きると、商売はそれに翻弄されて売り上げが落ちるものなのですが、ヤクルトに関しては、このSARSがある意味、海外販売の転機になりました。台湾の著名な大学教授が、「SARSの予防にヤクルトが効く」と発言したのがきっかけでした。それまでも順調に売り上げは伸びてはいたのですが、この時一気に売り上げが25%伸び、生産が追い付かないほどになりました。私自身、ヤクルトに救われた経験がありますから、この時もしみじみ、人様の健康維持に役立つ商品を扱っていることへの自信や喜びを感じました。間違ったところのないビジネス、人様のお役に立てる商売というのは、何があっても絶対潰れることはないんです。

 国際貢献の一貫として弊社は、汚染された水が原因と思われる下痢が蔓延しているインドの貧困地区で、ヤクルトを提供して子供たちの健康改善を図るという活動を行っているのですが、嬉しいくらい目に見えて子供たちの体調が良くなっているという事実があります。私だけでなくヤクルトに務める社員も皆、自社商品の効用を実感できていますから、扱う商品に対する社員の自信が、会社が世界に進出していける原動力になっているのではないか、私はそう思っています。

 今年5月に新工場をファウンテンバレーに立ち上げました。今後はアメリカで販売する商品をこの工場で生産します。日本で生産していたものと同じ商品を、法律や規制がまったく違う国で作るのには、かなりの苦労が伴いました。正直、想像していた以上で、未だにあちこち問題が起こっては、その対処に追われています。唯一の息抜きであるゴルフも最近、かなりご無沙汰で(笑)。

 アメリカでの売り上げを上げることはもちろん最大の目標ではありますが、同時にヤクルト商品の効用、そして乳酸菌が体に与えるさまざまな効果を、工場を通じて広めていきたいという思いも強く持っております。体制が整ったら、工場見学の機会提供も始めたいですね。私はヤクルト商品が体にいいことを証明する生き証人ですから(笑)、積極的に地元の皆さんとも交流し、ヤクルトを通じてお客様の健康促進のお手伝いをしていきたい、そう思っています。

~信条~

決断のないところに成果はない

イギリスの生物学者トーマス・ハクスリーの言葉です。知識やアイデアだけでは意味がなく、決断し行動してこそ、成果は伴う。仕事でも人生でも私のモットーです。


Yakult U.S.A. Inc. President & CEO 清水実千男氏

Michio Shimizu■1953年4月22日生まれ、鹿児島県霧島市出身。1977年4月、株式会社ヤクルト入社。以後2001年3月まで、国内販売会社本部支店営業部に所属。2001年5月にYakult Singapore Pte. Ltd.に配属となり、シンガポールへ海外赴任する。2011年5年より現職。趣味はゴルフ

会社概要

社名: Yakult U.S.A. Inc.
本社・工場所在地: 17235 Newhope St., Fountain Valley, CA 92708
事業内容: 乳酸菌飲料ヤクルトおよびヤクルトライトの製造販売
売上本数: 約20万本/日
従業員数: 80名
創立: 1990年
Web: www.yakultusa.com


取材・文 = 中村洋子

2014年08月号掲載