ゼロになって見えてきた1人の人間としての自分

ゼロになって見えてきた1人の人間としての自分

今年芸能活動26周年を迎えた吉田栄作氏は1995年から3年にわたり、LAで修業した。LAでどう生き、どう変わったのか。帰国後も毎年、“第二の故郷”に充電に訪れては、ライヴを行っている吉田氏に、話を聞いた。

山を降りて、ゼロになった

山を降りて、ゼロになった

7月初め、ハモサビーチにあるライヴハウス「セイント・ロック」で熱唱。歌手活動25周年の節目の年


 僕が芸能界を志したのは16歳の時ですが、目指した世界に入り、5年後には瞬く間に売れっ子になっていました。順風満帆な一方、その位置に到達するのが少し早過ぎたのではないかと疑問に思う自分がいたんです。野球に例えるなら、1つの豪速球以外に勝負球を持っていない状態。その意味では自信がなかった。次のステージに進むには、勉強する機会が必要だと考え、LA移住を決めたんです。

 それに日本には“本来の自分”ではなく、“作られた自分”、あるいは“自分で作ってしまった自分”がいました。かつがれた神輿に乗っかっているようなところもありました。しかし、それでは目指していない方向に誤って連れて行かれかねません。30歳になる前に、目標とする自分になるためにも自ら地に足をつけて、目指す方向に向かうような状態にしたかった。そのためには、それまで日本で登ってきた山から降りてゼロになる必要があったんです。

 ゼロになる怖さなんてありませんでした。僕としては、そのまま、同じ山に留まることの方がもっと怖かった。だから、その時まで日本で積み上げてきたものを壊すことには抵抗を感じなかったんです。若かったし、むしろゼロになることの方に格好良さを感じていました。その方がロックなんだと(笑)。周りからどう思われようが、自分の格好良さを貫いていくことの方が、僕の30代であり、40代であり、50代であると。

 僕は何でも形から入るんですよ(笑)。自分が格好良いと思うイメージを目指すんです。そのイメージ通りにはなれないかもしれないけど、当たって砕けろの精神で突き進みます。

親友と二人三脚で挑んだオーディション

親友と二人三脚で挑んだオーディション

ライヴでは必ず歌う「心の旅」。ファンも吉田栄作さんと一緒に歌い、会場は熱気に包まれた


 1995年7月に渡米後、LAでオーディションを受けていたとはいえ、月1回オーディション会場に行くか行かないかくらいでした。ちょっと出てすぐに死んでしまうような役ではなく、意味のある役で出演したかったのですが、そういった役へのオーディションの機会はそう滅多にあるわけではないのです。当時、真田広之さんや加藤雅也さん、松田聖子さん、宮沢りえちゃんがLAに居る時代で、彼らとはオーディション会場でもよくすれ違っていましたね。

 オーディションでは、その場で台本を渡されるのですが、最初は英語がままならなかったせいもあって、つっかえながらでしか台詞を言えず、カメラを見る余裕もなかったほど。アメリカでは、即戦力のある役者が求められるので、日本でのキャリアはそう役立ちませんでした。

 このままではチャンスが得られない。苦戦していたその時、渡米当初に知り合ったウィルという親友が助けてくれたんです。彼が掛け合い、オーディション用の台本を事前に入手してくれました。ウィルにそれを読んでもらい、僕がそれを録音して、発音の練習をしました。そんな風に、二人三脚でオーディションに臨み、最終審査まで残るようになったんです。

 しかし、役を得られたのはいいけれど、ビザの問題で出演することができなかった映画や、企画自体が流れてしまった映画などもありました。ようやく手に掴んだと思ったら砂のようにさらさらと消え去っていくところは、LAらしいなと思いました。

俳優である前に1人の人間

俳優である前に1人の人間

主演の役所広司さん扮する山本五十六と聯合艦隊作戦参謀役として共演

©東映

 日米で活動することで、業界の違いも肌で感じました。大きな違いは、アメリカにはユニオンがあるため俳優が守られていること。俳優の疲れを気遣い、1日の労働時間や休憩時間も規則で決まっている。日本の場合、早朝から深夜まで長引く撮影もあるので、女優さんの場合、疲れや肌荒れが顔に露に出て大変なのです。「愛している」と告白するようなクライマックスのラブシーンで、登場する男女が疲れ果ててしまっているような状況が起きてしまいます(笑)。

 また、アメリカではスタッフ間の関係も対等です。撮影現場では、アシスタント・ディレクターから「さっきの演技良かったね」と気軽に声を掛けられることもありますが、日本でADが役者にそんな風に声を掛けたら、大変なことになります(笑)。そのあたりは、日米どちらがいいというのではなく、文化の違いなのかもしれませんね。

 LAではあらゆることを学びましたが、最も重要だと思ったのは、俳優や表現者である前に、自分は1人の人間でいるべきなんだということです。日本の場合、人間である前に素晴らしい俳優であること、つまり、芸のことを第一に考えるストイックさがリスペクトされています。そこが、日米では真逆です。今、僕は、1人の人間があくまで俳優という職業で飯を食っているというアメリカで身を以て得たスタンスで、日本に住むようにしています。

 そんなスタンスを得たのは、LAで自分をゼロにリセットして、新しい山を登り始めたからかもしれません。そうすることで視野が広がったんです。渡米する前の僕は、人気俳優としての自負があったせいかもしれませんが「俺に話しかけるなよ」的なオーラを発していました。車のウィンドウにはスモークをかけ、運転手にコンビニまで買い出しに行ってもらってたり。しかし今では、1人で電車に乗り、買い出しも自分でしています。街で「栄作さん、どうも」と声を掛けられれば「今度、芝居をやるのでぜひ観に来てください」と言って、自ら営業もしています。

 ドラマ撮影の時も、以前は現場で通行人が撮影風景を見ていると、遠ざけてもらうようリクエストしていたんですが、今は全然気にならなくなりました。むしろ、見学している人に自ら声を掛けたり、照明に遮られて撮影風景がよく見えないのではないかと彼らのことを気遣ったりするようになった。スタッフにも「ちゃんと飯食えよ」と声を掛けて、現場に漂う縦社会的な雰囲気を和らげるよう心がけています。

 つまり、誰に対しても一個人として接して、周囲との間にバリアを作らないことが大事だと思います。今の時代、硬の部分がある人間は生きづらいところがあります。ネットに無断で写真をアップされたり、心ないことを書かれたりするので、隠れたくなる気持ちはわかりますが、今の僕は「だからこそ、バリアを作らず、心を開いてみようよ」と声を大にして言いたいんです。もし、何か書かれたりしても「あっ、出ちゃった」みたいに捉える方が心の健康にはいいのではないかと。そんな風に気軽に構えられるようになったのは、歳を重ねるにつれ、お調子者の親父の気質が表れてきたせいかもしれません(笑)。子供の頃は、挨拶ひとつできないシャイな子だったのに。

親父が作ったレジェンドの数々

親父が作ったレジェンドの数々

今秋公演の「ファントム」ではオペラ座の前支配人の役を務める

 親父は雑貨屋を営んでいたんですが、さまざまなレジェンドを作ってくれました。例えば、夜中の3時にドカーンと大きな音がするので飛び起きて窓の外を見ると、酔っぱらった親父が車で家に突っ込んでいたのです。お袋が怒ると「その角を曲がるまでの運転は完璧だったんだ」なんて開き直るので、あっけにとられたお袋はそれ以上怒れなくなってしまった(笑)。

 デパートの出現で、雑貨屋に閑古鳥が泣き始め、生活費を求めてお袋が「お金を持っているなら、家計に入れてください」というと、親父の財布から出て来たのはクルクルクルっと回ってパタンと倒れた5円玉1枚(笑)。

 そんなダメ親父でしたが、風呂に一緒に入れば「お湯を相手の方に向けて流すと、そのお湯は廻って自分に戻って来るんだ。人との付き合いはこういうもんだ」と諭してくれたことが今でも心に残っています。

芸能活動30周年に向けて

芸能活動30周年に向けて

バンド”Jeremy Buck & The Bang”のメンバーたちとは、LA移住当初からの長い付き合いを続けている


 1998年に日本帰国後は、新たな気持ちで共演相手が誰であっても、台詞量がどれほど多くても、プレッシャーに立ち向かえるようになりました。

 2011年12月に公開された『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(東映)という戦争映画で役所広司さんと共演した時のこと。役所さんが非常に長い台詞を言った後、僕が2行の台詞を言うシーンがあったんです。そのシーンにこだわっていた役所さんは最終的には50テイクまで撮ったのですが、18テイク目くらいから“この台詞が巧くいっても僕がしくじったら、また最初から撮り直しになる”というプレッシャーに押されて、心臓がバクバク。これは苛めかと思うほどでした(笑)。幸い、一発で決めることができたからでしょう、役所さんが舞台挨拶で僕に謝辞を述べてくださいました。そんな経験を経たからか、今ではプレッシャーを感じなくなりました。

 芸能活動30周年まであと4年ですが、4年後のことなんて正直想像できません。いただいた仕事に全力投球して、その結果周りから得た評価で次の仕事をいただく、それを繰り返しながら1作1作、地道に実績を積み上げていきたいと思います。目指すところは、アル・パチーノやケビン・スペイシー、ブラッド・ピットのように、あらゆる人物に変貌できるような役者です。

 今は「ファントム」というミュージカルの稽古中です。ファントムの孤独や悲しみを描いた「オペラ座の怪人」のもう1つのストーリーで、僕はオペラ座の前支配人の役。9月に東京で、10月には大阪でそれぞれ公演しますので、皆さんぜひ、観に来てください。

吉田栄作氏のプロフィール

俳優・歌手 吉田栄作氏

Eisaku Yoshida■1969年、神奈川県生まれ。1988年、映画「ガラスの中の少女」でデビュー。以降「もう誰も愛さない」など数多くのドラマに出演し、人気を博す。1989年には歌手としてもデビューし、「心の旅」「今を抱きしめて」などのヒット曲を放つ。2003年にNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」、TBSドラマ「ブラックジャックによろしく」の演技でギャラクシー賞奨励賞を受賞した。最近の出演作に、SPドラマ「LEADERS~リーダーズ」(TBS)、舞台『Paco~パコと魔法の絵本』、映画「春を背負って」(6月公開)、BSプレミアム「プラトニック」では23年振りに中山美穂との共演となった。9月には初ミュージカルとなる「ファントム」(赤坂ACT/梅田芸術劇場)に出演する。
【公式ブログ】http://ameblo.jp/eisakuyoshida-we


文 = Makiko Iizuka

2014年09月号掲載