バトンを活かしながら、パフォーマーとして技術、演技力、表現力をさらに磨きたい

バトンを活かしながら、パフォーマーとして技術、演技力、表現力をさらに磨きたい

ラスベガスで「シルク・ドゥ・ソレイユ」の人気ショー「KA」に出演中の高見亜梨彩さん。世界の舞台で活躍する彼女の原点は、母の下で2歳から習い始めたバトントワリングだった。

オーディション合格後、出演決定まで2年間

オーディション合格後、出演決定まで2年間

4歳で関西選手権に初出場

 東京で開催された「シルク・ドゥ・ソレイユ」のオーディションを受けたのは2007年。約20人のオーディション参加者は、ほとんどが体操、器械体操の経験者。アクロバティックな技術を持った方ばかりで、バトントワラーは私だけでした。オーディションには合格しましたが、その時点では合格者として登録されただけなので、ショー出演が決定したわけではなく、「必要があれば呼びます」という状態。具体的な出演依頼の連絡が来たのはそれから2年後の09年6月末でした。突然「シルク・ドゥ・ソレイユ」の通訳の方から国際電話がかかってきて、「シルク・ドゥ・ソレイユのKAの者ですけど」と言われて。私は「はい?」という感じで、最初は騙されているのか、夢なのかと思いました。

2歳からスタート大学にバトン部創部

2歳からスタート大学にバトン部創部

12歳の時(1990年)世界選手権に初出場を果たし、ソロトワール(11〜14歳の部)で優勝。1990〜1994年世界バトントワリング選手権大会5回連続出場、うち金メダルを2回獲得

 バトントワリングを始めたのは2歳の頃です。バトンの指導者である母は、大阪の天王寺で「マリ・バトンスクール」を主宰していました。正式にクラスを受け始めたのは2歳ですが、1歳の頃からスクールの先生たちがバトンを持たせて遊ばせてくれていたらしいです。小学校から高校までは、学校のクラブ活動はせず、バトンスクールの活動に専念し、高校卒業後は立命館大学産業社会学部の中にあるスポーツ・表現コースに進学しました。

 偶然なのですが、世界選手権チャンピオンの男性バトントワラーが同学年に入学したんです。せっかくなので、「2人でバトンのサークルでも作ろうか」という話になって、最初のうちは遊び半分でサークルを作りました。しかし、それがだんだんと頭角を現し、ついに大会で優勝するまでになったので、名称をサークルから「立命館大学バトントワリング部」に変更しました。こうして大学の4年間はバトン部に所属しながら、スクールも掛け持ちで活動していました。自分たちが創部したバトン部は、その後バトンの成績優秀者の高校生が推薦で入学できるようなシステムに及ぶまでに発展しました。とにかく、寝ても覚めてもバトンで頭がいっぱいな青春時代でしたね。バトンが生活の一部というより、体の一部のようでした。

 ちなみに一緒に創部した稲垣正司くんは、現在、同部の監督をしています。

ラスベガスで「KA」鑑賞、夢がより具体的に

ラスベガスで「KA」鑑賞、夢がより具体的に

15歳で世界選手権第5位入賞。コーチの母親と

 大学卒業後は、バトンをできる限り現役で続けたいと思っていましたので、企業に就職することは全く考えず、しばらくはスクールでの指導と、選手としての活動を両立していました。以前から「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショーは日本や海外で観ており、演目にバトンがまだ存在しない時から、私の頭の中では、「こういう場面にバトンが入ったら」とか、「こういう舞台で私もバトンや演技ができたら」と、自分が舞台にいることを思い描いていました。06年にラスベガスで初めてKAを鑑賞した時、先輩バトントワラーの高橋典子さんが実際に舞台に立っている姿を生で観て、「KAで踊りたい」と具体的に夢が膨らみました。その後、真剣にキャスティングについて調べ始めて、オーディションを受けるまでに至りました。

 職業として、ほんの一握りの人しか成功しない道で、ましてや大学を卒業してから数年が経っていましたので、常にモチベーションを高めたり、絶対にあきらめない気持ちを維持するためにも、あらゆる努力を欠かさずにいました。例えばスクールで生徒の指導をしていた時は、レッスンが始まるまでの時間は自主練習を怠らないよう心がけたり、またバレエやダンスのレッスンを受けて、演技の幅を広げたりしました。時間を見つけては芸術鑑賞に足を運んだりして、さまざまなものを吸収できる状態をキープし、いつでもポジティブな気持ちで過ごしていました。もしチャンスが来た時に、自分が準備できていなければせっかくの機会を逃しかねない。自分の体も気持ちも常にキープしておけば、必ずチャンスは来ると信じて待っていました。

 2009年6月、渡米の知らせをいただいた時は、とにかく自分のバトンを認めてもらえたという喜びが強かったです。待ちに待ったオーディションの合格から2年、ようやくキャスティングが決定してから渡米するまでの期間はあっという間でした。母にまず相談をしました。スクールの指導者としては私が必要だという気持ちもあったみたいですが、「今しかないチャンスだから」と言って背中を押してくれたので、すぐに渡米する決心がつきました。

 7月末から8月上旬には仮契約という形で渡米の準備を始めました。9月にいよいよ日本を離れ、ラスベガスに向かうことが決まった時は、今まで見てきた夢を実現させるチャンスを貰えたという前向きな気持ちと、日本を離れる寂しさが入り混じっていました。契約しても実際に舞台に立てるかどうかわからないし、現場で本当に認めてもらえるかという不安なども交錯して、複雑な気持ちでした。空港に見送りに来てくれた母と何人かのメンバーと別れた後、飛行機に乗ってわんわん泣きましたね。

現地で練習開始、不安と立ちはだかる言葉の壁

現地で練習開始、不安と立ちはだかる言葉の壁

1999年と2000年に全日本選手権ペアの部グランドチャンピオン2年連続受賞。1984〜2004年全日本バトントワリング選手権大会に21回連続出場、うちグランプリ2回受賞の華々しい成績を持つ

 渡米後、10月のデビューまでは、ほぼ1カ月しかなく、トレーニングとメイクの練習の毎日でした。トレーニングは単独で行いました。基本的に高い所で演じるので、万が一何かがあった時のためにエアーバックに正しく落ちる練習や、ハーネスをつけて吊られる訓練などから始めました。一応、契約の段階で予定されている配役があったので、加入した時点から、アクト以外のコスチュームフィッティングやメイクなどの練習も、そのキャラクターに合わせてやっていきます。1つのトレーニングは約1時間。1日に2種類のトレーニングとメイクの練習が交互に入ったりと、曜日と時間で決まったスケジュールが組み込まれていました。最終的にはアーティスティック・ディレクターやマネージング・コーチが私の進渉具合を見て、いつから出演できるかを決定します。

 バトン以外のアクロバティックなこともするという契約だったので、ハーネスをつけたり、空中スイングにも初めて挑戦しました。今までは常に床に足がついた状態で演技をしていたのと、元来高い所がそんなに得意ではないので、慣れるまでには相当時間がかかりました。

 また、言葉の壁でも苦労しましたね。挨拶程度の英語はできても、細かいことや専門用語がわからず、練習中も何の話をしているのか、要点を掴めないことも多かったんです。疑問点は頭の中に日本語で浮かんでくるので、自分の意志を日本語から英語に転換して伝えるのにとても苦労しました。最初のうちはそんなことの繰り返しでコミュニケーションに時間がかかり苦戦しましたが、ゆっくり話してくれたり、簡単な言葉を使ってくれたりしているうちに、徐々に慣れてきました。とにかく1つ1つやっていこうという前向きな気持ちで毎日を乗り越えていました。

2009年、「KA」デビュー、非日常の空間と迫力

2009年、「KA」デビュー、非日常の空間と迫力

2014年にロックとコラボレーションしたバトン公演を行った

 2009年の10月にバードパペットという役で最初に舞台デビューし、その後、バトンを使ったキャラクターのデビューが12月。2010年の1月に、念願叶ってダイアナ役ですべてのシーンを1人で演じることができました。100パーセントの達成感ではなかったものの、ようやく舞台に立てるようになったという喜びで体の中に沸き上がったゾクゾク感を今でも覚えています。

 デビューするまでに一番大変だったのは、セイラー役です。自分たちで大きなボートを漕ぐシーンがあるんですが、これがとても怖いんです。大きく揺れるので酔うし、腕力が弱いので手で支えられなくて。手の汗でつるつる滑ってまったくポールに上がれず、最後は手袋を用意してもらいました。グループでやるトレーニングなので、私1人ができないと全員を待たせてしまう。メンバーが自分のためにトレーニングの時間を割いてくれているので、皆の貴重な時間を無駄にしているというストレスも感じ、余計緊張してしまい失敗ばかり。ようやく成功した時は、皆が拍手してくれました。こうして、その役でデビューするまでにかかった時間は1年。これで当初の契約書にあった役すべてを網羅したことになりました。その甲斐あって、セイラー役でデビューができた1週間後に、それまでは短期契約だったのが長期契約に更新されました。その時は涙が出ましたね。

 ダイアナ役は、ショーを通してひとつのキャラクターを演じ切ることと、専門であるバトンを使っての演技ができることが魅力です。またダイアナ以外の時は、1回のショーでメイクや衣装を七変化しながら何役も演じ、その中でフライングなどのアクロバットの演技を披露することが面白いですね。

 KAは装置がすごく複雑で、空間がとても広いので、シアターに入った瞬間、別世界に足を踏み入れてしまったような、非日常的な感じになります。そういう状態で舞台の装置が動いたり、回ったり、すべてが一緒になると迫力に圧倒されますよね。また、KAは「シルク・ドゥ・ソレイユ」の演目の中でもストーリー性があり、物語の世界に入っていけるので、そういう部分も楽しんでもらえればなと思います。個人的には、フライングのアクロバットのある森のシーンが、華やかで大好きです。本番は、少しでも気を抜くと事故に繋がってしまうので、1回1回が真剣勝負ですが、毎回いい意味で緊張していますね。

 母は何度か観に来ています。初めて舞台を観た時は感動したようで涙を流していました。私自身も嬉しかったですね。その後、86歳の祖母を一度連れて来てくれました。昔から褒めない母でしたが、指導者の目で客観的に冷静に観てしまうのでしょうね。その時はすぐにダメ出しが入りましたね。(笑)。

 休みの時は気持ちも体もスイッチをオフにするように心がけています。好きな物を食べて、好きなことを好きなだけして。飼っている小型犬にも癒されています。気分転換はショッピング。ローカルのショッピングモールや、ホールフーズマーケットに買い物に行きます。それから、あらゆるショー、ミュージカル、ダンス、お芝居などの生の舞台を観劇したり、自宅でDVDを観ることも好きです。また、現在も年に2〜3回、ショーの長期休演の際は、帰国して、母のバトンスクールで指導や振付けをしています。ほかにロック・ミュージシャンの方とのコラボレーションとなるライブやディナーショーなどの公演も年に1~2回行っています。

 今後は、ショーでのバトンやアクロバットなどすべての技術、演技力、表現力を更に磨いていきたいです。また、バトントワラーとしてのバックグラウンドを活かし、バトン以外の棒状のものを回して扱うことができるようになれば、表現方法の幅が広がり、新たな技を編み出せるのではないかと考えています。現在、色々な道具を使ったものを考案中です。これからもバトンを多くの方に観ていただき、広めていくことが、私の使命でもあり本望です。

高見亜梨彩さんのプロフィール

シルク・ドゥ・ソレイユ」 パフォーマー、バトントワラー 高見亜梨彩さん

Arisa Takami■1978年、大阪市生まれ。大谷学園大谷高等学校、立命館大学産業社会学部産業社会学科スポーツ・表現コース卒業。2歳の頃より母親が主宰する「マリ・バトンスクール」にてバトントワリングを始める。1990~1994年の間、世界バトントワリング選手権大会5回連続出場を果たし、うち金メダル獲得は2回。バトントワラーとして国内外での華々しい経歴を持つ。2007年に「シルク・ドゥ・ソレイユ」のオーディションに合格し、2009年渡米。1カ月間のトレーニングを経て2009年10月より「KA」に出演。準主役のダイアナ役の他、さまざまなキャラクターを演じ、現在もラスベガスで週5日、1日2回の公演をこなす日々を送っている

KAのキャラクター

KAのキャラクター

(左上)Diana(準主役)
(上中央)Forest(森の人)
(右上)Empress(王国の女王)
(左下)Spearwoman(悪者)
(右下)Sailor(船の船員)


2014年09月号掲載