信念を貫き、己の道は自ら切り開く。何事も遅すぎることはないのです

信念を貫き、己の道は自ら切り開く。何事も遅すぎることはないのです

『スターウォーズ』シリーズのVFX制作で知られるILMでデジタル・アーティストとして活躍する成田昌隆氏。転職を経て夢を実現するまでの道のりについて伺った。

ハリウッドVFXの要CGモデラーとは?

ハリウッドVFXの要CGモデラーとは?

2004年、タミヤ・アメリカ・コンテストで優勝した戦艦のジオラマ(サイズ:90X60cm、製作期間6カ月)。この優勝がその後の自信に繋がった


 現在私は、ルーカスフィルムのVFX(ビジュアル・エフェクツ)部門であるIndustrial Light & Magic (ILM)でCGモデラーとして制作に携わっています。ハリウッド映画界で働いていると言うと、俳優さんたちと仕事をする華やかな世界を想像されるかもしれませんが、私の仕事は、毎日暗い部屋でコンピューターに向き合う、とても地味な作業。セレブなんて見たこともないんです(笑)。

 CGモデラーの仕事は、例えるならば粘土で作った造形をコンピューターの中で行うようなもの。つまり、VFXで使われるキャラクターや宇宙船などのモデルを制作する仕事です。通常はアートディレクターが描いたコンセプト画を見ながら、それをコンピューターの中で3次元の立体にしていく作業をしています。詳細が描かれていない空白の部分を、自分のセンスで創造し作り込んでいくことや、どこから見ても自然でカッコいい立体に完成させるプロセスは、非常に大変で難しい作業です。『アイアンマン3』では13種のアイアンマンをチームでモデリングしたのですが、やはりどこから見てもカッコいいスーツに仕上げるには苦労しました。

 モデリングができたら、まずペインターがモデルに色をつけ、リガーが骨組みを入れ、アニメーターがそれを動かし、ライターが照明を当て、エフェクターがCGによる火や煙などをいれます。さらにレイアウト・アーティストがCGカメラを使ってそれらを撮影し、コンポジターが個々の素材を合成して一枚の絵にする、というのが大まかな流れです。つまりモデリングはCG制作の一番最初の工程で、これが失敗するとすべてに影響を与えてしまいます。

45歳で証券マンからハリウッド映画界へ転職

45歳で証券マンからハリウッド映画界へ転職

ILMのアートコンテストで入賞した粘土彫刻、東大寺南大門の仁王像(サイズ:50cm、製作期間2カ月)

 実はCGモデラーになってまだ5年目です。2008年、45歳の時に退職するまでは、20年以上証券会社に勤めていました。

 10才の時に『シャレード』(1963年)を観て以来、大の映画ファンになり、それから毎晩親と一緒にテレビの洋画劇場を観て育ちました。ゴジラやウルトラマン世代ですので、ミニチュアを使ったスペシャル・エフェクトに興味があり、『タワーリング・インフェルノ』のグラスタワーや『ジョーズ』の鮫にも、とても関心がありました。1978年公開の『スターウォーズ』はSFXが斬新で「いつかハリウッドで働きたい」と漠然と夢を抱くほど、衝撃を受けましたね。でも当時は、それを行動に移すほど情熱があったわけではなく、結局は普通に企業に就職しました。

 きっかけは1993年、アメリカに駐在したことです。『トイ・ストーリー』を見てCGへの興味が沸いたことに加え、アメリカン・ドリームを間近で見て肌で感じ、自分でも頑張ればできるんじゃないかと思い始めたのです。気が付けば、何としてでも映画の世界に入りたいと思っていました。

 1997年に、ある展示会でCGソフトのデモを見て、「これならできる!」と直感。その場でソフトを購入して、それから3年間、平日は帰宅後の夜7時から、週末は朝8時から深夜まで、毎日死に物狂いで勉強しました。

 アメリカは本当に実力主義で、良いものを作れば認められる世界。5分程度のショートCGアニメを作って、約50社に送った結果、『シュレック』を作ったPDI(現ドリームワークス・アニメーション)などと面接を重ね、オファーをいただく寸前まで辿り着きました。しかしグリーンカードを待っている間に、父がガンで急逝。何か大きな目標を失った気がして、CGアーティストになる夢を一旦諦めました。1999年のことです。

 その後10年間は、証券会社の駐在員として米国勤務を続けていました。しかし、2008年のリーマンショックにより帰任する懸念が高まり、「人生は一度きり。これが最後のチャンス」と思い立ち、会社を退職し、もう一度だけ夢を追うことを決意したんです。10年前、3年間の猛勉強でCGの基礎はほぼできていましたので、今回は半年間、CGの専門学校に通い最新技術をキャッチアップし、デモリールを30社くらいに送った結果、週300ドル程度の小さな仕事から始めることができ、その後大手に雇われるまでになりました。

夢に果敢に挑み、スタッフ・モデラーに

夢に果敢に挑み、スタッフ・モデラーに

モデリング・スーパバイザーのデイビッド・フォグラー氏と共に


 会社を辞める時に、1年でCGの仕事を得て、5年で映画にクレジットを載せるという目標を立てたのですが、実際は、とにかくどんな仕事でもいいからCGでお金を貰わなければという切羽詰まった状況でした。これまで23年間当然のように受け取っていた月給が突如なくなり、その上住宅ローンの支払いがあるので貯蓄は減っていく一方。さらに、学校にも高額の出費が掛かりました。自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?という考えが頭をよぎりました。送ったデモリールの返事を待っていた1カ月半はCGで生計を立てられる保証もない中、ひたすら自分の信念を貫くだけ。人生で一番長く不安な時間でした。結果として、順調に1年足らずでクレジットをいただきましたが、たまたま自分の出来ることと、この仕事に求められているものが合致したのだと思います。本当にラッキーでしたね。

 最初に携わった映画は2010年公開のリメイク版『エルム街の悪夢』です。その中で、主人公フレディーの顔の造形を始め、映画に出てくるすべてのCGアセットを担当しました。その後、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』で初めてメジャー・ハリウッド映画に携わり、『タイタンの逆襲』ではCGモデリング・スーパーバイザーを任されました。

 『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』に携わっていた頃は、自宅のあるアーバインからスタジオのあるサンタモニカまで、毎日往復3時間かけて110マイルを通勤していたのですが、作業初日の帰り道、いつものように音楽をかけていると、スピーカーから「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」の挿入歌"One Day"(また会える日まで)が流れてきたんです。それを聴きながら、「これを今、自分がやっているんだ。ついにやったんだ!」と、感極まったことは今でも鮮明に憶えています。

 現在勤めているILMは、ハリウッド映画の中でもハイレベルなCGを扱うため、全世界からトップアーティストたちが集まります。また、『スターウォーズ』シリーズに携わりたいと思っている人にとっても、ILMは憧れです。私のキャリアの最終目標も、いつかILMの一員になることでした。

 以前、他の会社に在籍していた時は、自分が丹誠込めて作ったディテールが使われず、苦渋を味わったことが多々ありましたが、ILMは自分の才能を最大限に発揮できる理想的な場所だということを毎日実感しています。また、ILMの長い歴史の中でスタッフモデラーとしては初の日本人になれたことを誇りに思いますが、まさかこんなに早く夢が実現するとは思っていませんでした。

アメリカで生きるには自分の道は自分で

 最も辛かったのは、1999年にグリーンカードが思うようなタイミングで取得ができなかったことです。働きたい意思があって、スタジオも採用を決めているのに、労働許可証がないため一旦夢を諦めた経緯があります。3年間の血の滲むほどの苦労が水の泡になったのです。

 実はグリーンカード申請中にLビザの期限切れで一旦は帰国せざるをえない状況になったのですが、弁護士に頼らず、自分の力で情報収集し、ビザ滞在許可期間内にようやくグリーンカードを取得し強制出国を免れました。「人に頼らず、自分の道は自分で切り開く」。これはアメリカで生きていくためにはとても重要なことだと痛感しています。

 ハリウッド映画は今、“made in USA”が少なくなっています。特にCG業界はこの2年程で激変しました。外国が映画産業を誘致しようと税制優遇措置を強化した結果、仕事の大半がカナダやイギリス、ニュージーランドなどに流れてしまったため、ハリウッドにあった大手のCGスタジオのほとんどが閉鎖に追い込まれました。フルCGアニメーションの会社ではディズニーやドリームワークス、ピクサーなどは健在ですが、映画のVFXとしては、米国では唯一ILMが存続していると言っても過言ではありません。私のいたハリウッドのデジタルドメインというスタジオも倒産し、レイオフされましたが、約3カ月の就職活動の後、念願のILMに入社することができました。この産業の国外流出について、一部には政府の対応に問題があるという声も上がっていましたが、私は逆にこれがアメリカの強みになり得ると思います。一時衰退した自動車産業が復活したように、業界はあまり国の力に頼らず、自分たちの力で立ち直るべきだと思います。そうすれば、さらに強さを増すでしょう。

家族の支えを糧に夢ある作品作りを

家族の支えを糧に夢ある作品作りを

会社見学に来た息子(20歳)とのスナップ。CGの仕事を目指した当初は、まだ3歳だった

 信条は、「何をするにも決して遅すぎることはない」。そして、アメリカの哲学者、ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉、“Do not follow where the path may lead, Go instead where there is no path and leave a trail.”(誰かの敷いた道を進むな。道なきところを進み、そこに自ら足跡を残しなさい)。

 今の仕事にはとても満足しています。挑戦の連続ですが、毎日楽しくて仕方がないといった感じです。毎朝目覚まし時計より早く目覚め、自主的に早朝出勤をしています(笑)。子供の頃から模型好きで、証券会社時代はストレス発散も兼ねて週末ともなると模型作りに励んでました。2004年には全米模型コンテストで優勝もしたんです。ILMでは社内で開かれている彫刻クラスを取っているのですが、初めて粘土造形に触れ、モデリングの奥深さを知りました。社内のアートショーに出展して入賞できた時はとても嬉しかったですね。

 週末は仕事を忘れ家族で映画を観たり近所を散歩したり、猫と遊んだりしてのんびり過ごしています。転職の話をすると、家族は反対しなかったのかと聞かれますが、私が映画業界に入りたくて苦労している姿を10年前から見ている妻は、ずっとサポートしてくれているんです。会社を辞める際には「もう一度よく考えてから決めてね」とだけ言ってくれました。妻は最大の良き理解者ですね。

 17年前、CGの仕事をしたいと夢見ていた頃、当時3歳だった息子が「僕のお父さんはウルトラマンを作っているんだよ」と友達に自慢できたらいいなぁと密かに思っていました。実は2年前、娘が中学校の課題で家族についての発表した時、「パパはアイアンマンを作っている」と話すと、クラス中が大騒ぎになったそうです。その話を聞いて、改めて自分の夢が叶ったと実感することができました。

 今後も皆さんに夢を与えられるような作品作りをしていきたいと思っています。


デジタル・アーティスト 成田昌隆氏

Masataka Narita■1963年愛知県生まれ。85年、名古屋大学工学部を卒業後、NECに入社。その後日興証券へ転職しIT部門で技術リサーチを担当。93年、シリコンバレー先端技術研究所開設に伴い米国赴任し、05年、所長としてニューヨーク駐在員事務所へ転勤。ハリウッド映画業界で働くという自らの夢を追うため、08年7月に退職し、学校に通う。09年4月、46歳でハリウッドのVFX業界でプロデビューを果たす。『タイタンの逆襲』のモデリング・スーパーバイザー、『アイアンマン3』のモデリング・リードなどを経て、現在はILM(Industrial Light & Magic)にてスタッフ・モデラーを務める。これまでに手掛けたCMは20本、映画は14本に上る
http://www.naritafamily.com


文 = たかつなかやこ

2014年12月号掲載