日本人スタントマンならではの仕事をハリウッドで

日本人スタントマンならではの仕事をハリウッドで
© Gene Shibuya

日本人として初めてTaurus World Stunt Awardsの「Best High Work」部門最優秀賞受賞という快挙を成し遂げた南博男氏に、成功までの軌跡を伺った

小学生で抱いたスタントマンへの夢

小学生で抱いたスタントマンへの夢

2009年、ニュージーランドで米の人気テレビシリーズ『スパルタカス』のシーズン1の制作に参加。スタントマン仲間と

 スタントの仕事に興味を持ったのは小学校6年生の時。きっかけは俳優の真田広之さん主演の映画『吼えろ鉄拳』でした。画面一杯に映し出される真田さんの迫力あるアクションに度胆を抜かれて夢中になりました。その後、たまたま姉が持っていた『明星』という雑誌で、真田さんも所属しておられたジャパンアクションクラブ(旧JAC、現ジャパンアクションエンタープライズ)というアクション集団があると知り、応募したいと父親に話したところ意外にも賛成してくれたんです。応募資格が中学卒業だったので、それまで空手道場に通って体を鍛えたら?と言われ、父が通っていた空手道場に入りました。

 道場に通い始めて1年くらい経った頃、養成所が私の地元の京都にもでき、募集対象も中学生以上に変わったので、喜び勇んで応募しました。無事合格し、養成所に通い始めたのですが、ジャズダンスや発声練習、歌や芝居といったレッスンが中心で、やりたかったアクションのクラスは週一度しかなかったんです。色々なレッスンを受けても自分が楽しめるのはアクションだけだと気付き、次第に違和感だけが大きくなっていきました。1年間の研修終了後、本格活動するならば東京に移らなければならないという段階になって、親元を離れて上京するには、まだ中学生で難しいということもあり、辞める決断をしました。

 そこからはますます空手の修行に励みましたね。練習の甲斐あって高校時代には大会で優勝するようになり、卒業前に指導員の免許を取って、道場の後輩に教えるようになりました。この頃はスタントマンは諦めて、自分は空手家としてやっていくんだろうなとぼんやりと思うようになっていました。

もう一度、トライしてみたい

もう一度、トライしてみたい

2007年、ニュージーランドにてアクション監督として『パワーレンジャー』の現場に入る。
日本から参加したスタントマンと共に


 高校を卒業して就職した後、23歳で結婚してすぐに子供が生まれました。仕事と空手を両立させ安定した生活を手に入れたのですが、どこかで満たされないものがあったんですね。テレビを観ると、養成所で一緒だった友達や後輩たちが活躍している。自分はこのまま終わるのかなという漠然とした不安を感じつつ、でも家族を養うために仕事を捨てるわけにもいかず、心の中で葛藤する日々が続きました。子供が1歳になる頃、その葛藤が頂点に達して、もう一度スタントマンの道にトライしてみたい、という気持ちが抑えきれなくなりました。さらに、どうせやるなら映画の本場ハリウッドで挑戦したい、と。すごい思考の飛躍ですよね(笑)。空手の遠征で何度かラスベガスに行ったことがあり、アメリカでも空手や格闘技の人気が高いのを見ていたことも、その気持ちを後押ししました。多少貯金もあったので思い切って妻に相談したところ、あっさりと「いいんじゃない?」と賛成してくれたんです。学生ビザを取得し、妻と1歳になる娘を連れて1996年に渡米しました。

 アメリカに滞在するにはビザが必要、という知識もないくらいだったので、まさに手探り状態でのスタートでしたね。英語もできなかったので、アパートの契約はもちろん、電気・ガス・水道の契約さえどうすればいいのかわからない。大家さんに役所に行けと言われ、早速出向いて長蛇の列に並んだのですが、やっと自分の順番が来ても、何をしたいのか英語でうまく説明できないんです。つたない英語で何度話しても受付の女性が理解してくれず、後ろからの「早くしろ」というプレッシャーに耐えきれなくなって、また列の最後尾に並び直したりして(笑)。それでも家族を一緒に連れて来たので頑張るしかないと、語学学校で必死に英語の勉強をしながら、何とかスタントマンになる糸口を探してちょうど2年ほど経った時、日系のスーパーで「日本人スタントマン募集」という張り紙を見つけたんです。ハリウッドでは詐欺的な話も見てきたので、半ば疑いながら話を聞きに行ったところ、これが俳優の藤岡弘さんが出演する本格的な映画だった。ここで初めて映画の撮影に参加しました。

 さらに撮影を通じて『パワーレンジャー』を手掛けている日本人スタントチームと知り合い、ボランティアで仕事を手伝うようになりました。そして2年後『パワーレンジャー』シリーズの撮影にスタントマンとしてレギュラー参加することになりました。渡米して5年目、2000年のことでした。まさに苦節5年、という感じで、やっとスタントマンとしてのスタート地点に立ったなという思いがありました。

ニュージーランドで夢が叶う

ニュージーランドで夢が叶う

Taurus World Stunt Awards授賞式当日。式場で家族と共に受賞の喜びを分かち合った

 ところがアメリカでの生活も安定したと思った1年後、『パワーレンジャー』の番組がディズニーに買収され、撮影がすべてニュージーランドに移ることになったんです。この時は行くかどうか悩みましたね。ハリウッドでスタントマンになりたいと願い、やっと仕事を始められた矢先にそのハリウッドを離れなければいけない、それでいいのか?と。でもやはり家族のために収入を確保することが最優先だったので移るしか選択肢はなかった。ところがこれがキャリア的には吉と出たんです。当時のハリウッドは、税制優遇措置のないアメリカ国内での撮影を避け、オーストラリアやニュージーランドをロケ地に選ぶ作品が増えていたため、ニュージーランドにいることが奏功し、ハリウッド映画のオファーが来るようになったんですね。ハリウッド映画にスタントマンとして出演するという夢が、ニュージーランドで叶ったわけです。初めて関わったハリウッド作品は『30デイズ・ナイト』。そこから『ナルニア国物語:カスピアン王子の角笛』、スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスがプロデュースしたテレビシリーズ『ザ・パシフィック』など大作の仕事が続きました。

 続いて、香港で、後にアワードの受賞に繋がった『PUSH 光と闇の能力者』の撮影にも挑みました。実は、オファーを受けた時はオーストラリアで『ザ・パシフィック』の撮影中で、スケジュールも被っているため断ったのですが、その後なんとか調整がつき合流ができたのです。受賞となったスタントシーンも、当初の予定は香港滞在中に行なう予定のはずだったのが、スケジュールの都合で他のスタントマンに譲ることに。それが、奇跡的に元のスケジュールに戻ったことで、無事演じることができました。オファーを受けた時は、それが自分のキャリアにとって大きなステップアップになるとは予想だにしていませんでしたが、結果は大成功。映画自体も素晴らしい出来映えになりました。あの時断っていたら、今の状況もまったく違っていたかと思うと、運を感じますね。

念願のグリーンカードを取得

念願のグリーンカードを取得

2012年、『ウルヴァリン:SAMURAI』の大掛かりなセットが組まれたシドニーのフォックス・スタジオにて。
真田広之さんと一緒に


 『PUSH』の撮影後くらいから、家族とよく話し合った結果、やはりもう一度ロサンゼルスに戻ることに決めました。2008年のことです。

 ところがそれまでハリウッド作品の仕事が続いていたのに、拠点をロサンゼルスに移した途端、仕事が途切れてしまいました。また一からやり直しになってしまうのか、これならニュージーランドに戻った方がいいのだろうか、と思い始めた頃に貰ったオファーが『47 RONIN』。キアヌ・リーヴス主演のハリウッド映画ですが、「忠臣蔵」を基にしており、日本人俳優も多く出演しています。その出演俳優陣の中に真田広之さんがいらして、この映画の撮影で初めて、子供の頃この世界に入りたいと思うきっかけとなった真田広之さんのスタント・ダブルに抜擢されました。真田さんとは、その次の『ウルヴァリン:SAMURAI』でもスタント・ダブルを務めさせていただきました。

 『47 RONIN』は仕事としては大成功の作品だったのですが、丁度この頃またビザの期限が来て、アメリカに残れるのか、ハラハラしながらの撮影でした。さすがに今回は万事休すかという絶対絶命の時に、もう1つの救いが訪れたのです。前述の『PUSH』のアクションシーンが、2010年のTaurus World Stunt Awardsというスタント業界のアカデミーと言われる大賞にノミネートされ、僕自身が「Best High Work」賞を受賞したのです。これまで積み重ねた職歴にこの受賞が後押しとなって、ついにグリーンカードを手にすることができました。

 アメリカで仕事をしている方にはご理解いただけると思うのですが、ステータスの問題は本当に深刻で、私の話もキャリアのことよりも、その時のビザが…という話題に傾きがちなくらい(笑)、精神的な負担の大きい問題なんですよね。賞をいただいたのも最高の幸せでしたが、グリーンカード取得は、これで家族も安心してアメリカで暮らせる環境が作れると涙が出るほど嬉しかったですし、ある意味人生のピースが完成したような気持ちがありました。

日本人スタントマンとして…

日本人スタントマンとして…

2012年、『ウルヴァリン:SAMURAI』の撮影が東京・増上寺で行われ、アクション指導を担当した


 僕がハリウッドでスタントマンを続けたかった理由の一つに、映画業界におけるスタントマンの確固たる地位が確立されている、ということがあります。登場人物が少し転ぶシーンでも、必ずスタントチームがそのシーンを組み立て、アクションを決めて、スタントマンが演じます。スタントマンチームにアクションシーンのすべてが任されているのです。俳優さんにアクションの演技指導もします。プロとして映画の製作に携われるところにやり甲斐がありますし、自分の作ったシーンが映画全体の質を上げることができたなら、スタントマンになった醍醐味を感じますね。

 以前と違い最近は映画の中で日本の文化を扱う時、なるべくリアルな日本を表現する傾向になってきています。昨今は日本人のスタントマンとして本領が発揮できる場所が増えているのを実感しますね。2つの文化を理解している日本人という立場を、うまく使えば大きな強みになるんですよね。僕の場合はもちろん、作品中の日本の表現に、日本人としてアドバイスできるという強みがあります。でもそれだけではなく、例えば日本人スタントマンはスタントダブルを演じる時、その俳優さんの立ち方、動き、すべてを細かく真似しながら演じるんですね。僕もそのために、俳優さんが演技しているのをとにかく細かく観察し、小さい動きまで徹底的に真似するようにしています。でもアメリカ人スタントマンは、どちらかというと、自分がアクションを華麗に演じる方に重点を置く人も多い。製作側からすれば、アクションシーンを俳優本人が演じているように見えることが重要なので、僕たちのようなやり方は実は好まれるわけです。映画の撮影もやはり人と人とのコミュニケーションが要。日本人ならではの気配りと調整能力が重宝されることも多いですね。

 歳をとってきて、体力的には若いスタントマンに敵わないと思うことも出てきましたが、ここまでの道のりを経験して学んだこと、日本人のスタントマンである強味を活かしながら、これからも精力的にハリウッドの作品作りに陰ながら貢献していければと思っています。


スタントマン 南 博男氏

Hiroo Minami■1970年、京都府生まれ。1982年に沖縄直伝剛柔流空手道・日本正武館に入門し、黒帯3段を取得。1983年にJAC京都養成所に14期生として入所。1996年、スタントマンを目指し渡米。得意の空手を活かし、人気テレビシリーズ『パワーレンジャー』のスタントマンとして活躍。その後ハリウッド映画へと活躍の場を広げる。2010年に『PUSH 光と闇の能力者』(2009)で、アクション界のアカデミー賞といわれるTaurus World Stunt Awardsにノミネートされ、日本人初のBest High Work部門最優秀賞を受賞。2013年公開の『ウルヴァリン:SAMURAI』、『47 RONIN』では真田広之のスタントダブルを務めている
www.hiroominami.com


文 = 中村洋子

2014年12月号掲載