お客さんが喜んでいるかどうかは“空気”でわかるんです

お客さんが喜んでいるかどうかは“空気”でわかるんです
©Yuji Hori

世界屈指の「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝。日本人として史上初の快挙を成し遂げ、名実ともに世界のトップピアニストとして、リサイタルやオーケストラとの共演を行っている。リサイタルで訪れたソノマでインタビューを行った。

生後8カ月の時にピアニストの曲を聴き分け

生後8カ月の時にピアニストの曲を聴き分け

2歳の頃、おもちゃのピアノを夢中で演奏する辻井氏


 好きな作曲家はショパン、ドビュッシー、それからベートーヴェンです。その中でも特別な思いがある曲はショパンの《英雄ポロネーズ》かな。母によると生後8カ月の時に、《英雄ポロネーズ》の曲をかけると、その演奏に合わせて足をばたばたして喜んでいたそうです。でも面白いことに、気に入っていたのはそのピアニストの《英雄ポロネーズ》だったらしく、ある時CDに傷がついたため、代わりに違うピアニストの演奏をかけたら反応がまったくなくなったとか。不思議に思った母がもう一度、最初のピアニストの演奏をかけたら、やっぱり以前と同じように足をばたばたさせて上機嫌になったそうです。曲は同じでも生後8カ月の僕が気に入っていたのは最初のピアニストの演奏だったのだと気付いたそうです。母は元アナウンサーで、クラシック音楽とは関係のない仕事をしていたのですが、それがきっかけで僕に演奏を聞き分ける能力があって、音楽が大好きなのだと確信したようです。だからといって、音楽家になれるとは少しも思っていなかったようですが…。

 その後2歳の誕生日におもちゃのピアノを買ってもらい、その年のクリスマスに突然、母が口ずさむ《ジングルベル》に合わせてピアノを弾き出したんだそうです。それから、母が一度か二度歌えばどんな曲もピアノで弾けるようになって、朝から晩まで夢中で演奏していたそうです。

 4歳から本格的にピアノを習い始め、5歳の時に家族でサイパン旅行に行った際、ショッピングモールに自動演奏のピアノが置いてあって、それを弾きたいってせがんだら自動演奏を解除して弾かせてくれたんです。当時流行っていたリチャード・クレイダーマンの《渚のアデリーヌ》を演奏したところ、周りの人が「ブラボー!!」「アンコール!!」と言ってくれて大喝采。最初はそこにあるピアノをただ弾きたかっただけなのに、僕のピアノでみんながこんなに喜んでくれるなんて予想外の展開で、初めて人前で弾く醍醐味を体感しました。

拍手が鳴りやまないソノマでの初リサイタル

拍手が鳴りやまないソノマでの初リサイタル

今年5月7日、カナダのウィニペグでクラシックとジャズ専門のラジオ局に生出演した


 2009年にテキサス州フォートワースで行われた「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝してからは、海外でのリサイタルやオーケストラとの共演、そして音楽祭に招聘される機会が増え、アメリカはもちろん、ドイツ、イギリス、トルコ、フランス、イタリア、セルビア、スイスなど各国で演奏を行うようになりました。

 ステージで演奏している時、お客さんが喜んでいるかどうかは空気でわかるんです。物心ついた時からずっと、とにかくピアノを弾くのが楽しい。演奏会前になると1日7~8時間練習することはあっても、休みたいとか、弾きたくないとか思うことはありません。そのせいかスランプを感じたことは今まで一度もないですね。

 お客さんの反応は国によって違います。先のコンクールに優勝した2週間後にドイツでリサイタルを行ったのですが、優勝するまで名も知られていなかった日本人がどんな演奏をするのかと、とても厳しい空気に包まれ、200人くらいしか入らない小さなホールなのに重苦しいプレッシャーを全身で感じました。弾き始めてすぐに、観客がどんどんノリが良くなっていくのを感じて、会場が一変。耳が肥えているドイツの人たちだけに、いい音楽だと思えば認めてくれる寛大さに感慨もひとしおでした。

 昨夜はソノマで初めてのリサイタルでしたが、地元の人たちで盛り上がっている会場の雰囲気の中、ピアノを弾いていて、とても幸せでした。拍手だけではなく、足踏みするお客さんもいて、エキサイティングな様子が瞬時に伝わってきました。アメリカ人のそういった素直な表現が僕は好きですね。

 アンコール曲の《ジェニーへのオマージュ》は、2011年にカーネギーホールでデビューリサイタルを行った際に、アンコールとして初めて披露した曲です。アメリカ人なら誰もが知っているフォスターの《金髪のジェニー》をモチーフにして僕が作曲しました。なぜかアンコールでこの曲を演奏し始めると笑いが起こるんです。クラシックのコンサートでショパン、リスト、ベートーヴェンときて、アンコールは何かと思えば…日本で言う《赤トンボ》を弾き始めた、といったところでしょうか。いつもアンコール曲は、お客さんのノリを見て即興的に決めます。特にアメリカは、リストの《ラ・カンパネラ》のような華やか系の曲が盛り上がって喜ばれますね。

海外演奏会の密かな楽しみご当地グルメ

海外演奏会の密かな楽しみご当地グルメ

今年5月16日、佐渡裕さん指揮、トーンキュンストラー管弦楽団の定期演奏会に招かれて、プロコフィエフ作曲のピアノ協奏曲第3番を演奏。ウィーン・デビューを果たした

 海外での演奏会の楽しみは、地元の食べ物と飲み物なんです。10代でデビューしているせいか、未だに意外に思われることが多いのですが、実はお酒を嗜みます(笑)。ソノマでも到着翌日に、有名ワイナリーに招いてもらいました。特に、リサイタルの後は興奮しているので、お酒と食事は心身を落ち着かせる効果があるようです。

 食べることも大好き。各地で空港からホテルへ向かう時に、タクシーの運転手さんに地元の名物料理や旬の料理、おすすめのレストランなどをよく尋ねます。2012年のデュッセルドルフでのリサイタルでは、アンコールに1時間も応えたので、終演後に着替えて街に出たらレストランはすべて閉店。名物のライン風ザウアーブラーテンを食べられずに悔しい思いをしました。昨年ようやくリベンジを果たしたんですが、やっぱり美味しかったですね(笑)。イタリアのトスカーナで食べたニョッキやスペインのマジョルカ島で食べたイカスミのパエリアとかの味も忘れられないですね。

 食べ物の好き嫌いがなく、時差ボケもなし。どこでも寝られるのは僕の強みかも。海外公演は1カ月以上に及ぶこともありますが、ここ数年は所属音楽会社の男性と2人だけで行動しています。ケガをしないように気をつけていますが、ホテルにジムやプールがあれば、毎日のように走ったり泳いだりしています。アスペンでは乗馬に、シアトルではラフティングにも挑戦しました。小さい頃から母が何にでも挑戦させてくれたので、こうして海外に出ても臆せずに動けるのかもしれません。

作曲家としても活躍。夢は東京オリンピックでの演奏会!

作曲家としても活躍。夢は東京オリンピックでの演奏会!

今年5月1日にソノマ州立大学グリーン・ミュージック・センター・ワインホールにてリサイタルを開催。会場には多くの地元ファンが集まり、曲を演奏するごとに会場は大盛り上がりの賑わいを見せた

©Yuji Hori

 今後は音楽家として、もっとレパートリーを増やすこと。そして作曲にも精力的に取り組んでいきたいですね。今回のリサイタルのアンコールでも弾いた『それでも、生きてゆく』は、TVドラマ『それでも、生きてゆく』(2011年)のテーマ曲になった楽曲ですが、元は2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災された方への励ましと追悼を込めて作りました。震災の当日、僕は横浜でオーケストラとの演奏会を予定していたのですが、ホールに着いてタクシーから降りたところで地震が起きたんです。余震が続く中、リハーサルまではやったけれど、演奏会は中止。テレビやラジオで甚大な地震の被害や被災者のインタビューを聞いて、自分に何ができるのかと、真剣に考えました。その後アメリカとカナダで5週間のツアーを行いましたが、テレビをつけるたびに震災のニュースが流れている。どの演奏会場でもロビーで募金活動をしていて、行く先々で、海外でも日本のことをとても心配してくれているのを身をもって感じました。この曲には、アメリカを始め、世界の人たちからいただいた震災のための支援活動への感謝の気持ちも込められているんです。旅先で改めて家族や友人のことを考えたり、色んな意味で思い出に残るツアーになりました。

 その他、叶うかどうかはわかりませんが、夢は大きく2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」の開会式で演奏できたらいいなぁと思っています。それからいつか、大好きな浅田真央さんにも会いたい。彼女の勝負強さや、失敗しても持ち直す気持ちの強さが僕と似通っている部分があると思うんです。すごい根性の持ち主だけど、スケートをしていない時は可愛らしい感じがいいですよね。

 今年のツアーは、これからカナダやウィーンに渡り、日本に一旦戻って、秋にまたアメリカに帰って来るので、多くの在米日本人の方にもぜひ聴きに来ていただきたいです。

辻井伸行氏の軌跡

1988年 東京都に生まれる
1998年 10歳でオーケストラと共演してデビューを飾る
2000年 ソロリサイタル・デビュー
2005年 ワルシャワで行われた「第15回 ショパン国際ピアノ・コンクール」に最年少で参加し「批評家賞」を受賞
2007年 10月24日、エイベックス・クラシックスより『début』でCDデビュー
2009年 6月、テキサス州フォートワースで行われた「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で日本人として初の優勝を果たす。「文化庁長官表彰」(国際芸術部門) 2010年 「第11回ホテルオークラ音楽賞」および「第1回岩谷時子賞」受賞
2011年 幼少の頃からの自作曲や、映画やドラマのテーマ曲を集成した初の自作アルバム『神様のカルテ~辻井伸行 自作集』をリリース。映画『神様のカルテ』(11年公開)のテーマ曲、ドラマ『それでも、生きてゆく』(11年放送)のテーマ曲、映画『はやぶさ~遥かなる帰還』(12年公開)の映画全編の音楽を手掛ける。11月にカーネギーホールでのリサイタルが高い評価を受ける
2012年 アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団の定期演奏会でのロンドン・デビュー。ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団の招聘によるサンクトペテルブルクの白夜音楽祭へのデビューなど、著名指揮者との共演で注目を浴びる。映画『神様のカルテ』で「第21回日本映画批評家大賞・映画音楽アーティスト賞」受賞
2013年 イギリス最大の音楽祭「プロムス」への初出演が歴史的成功と称賛される。「第39回日本ショパン協会賞」受賞
2014年 1月〜2月、カーネギーホールでのコンチェルト・デビューを含むオルフェウス室内弦団とのアメリカ&日本ツアー(全16公演)他、オペラの殿堂ミラノ・スカラ座に初出演し、ゲルギエフ指揮スカラ・フィルとの共演が成功を収める。また4月にはパリのルーヴル美術館主催によるリサイタルが全世界にインターネット中継され、大きな話題を呼んだ。11月にはヴァシリー・ペトレンコ指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルとリヴァプールで初共演
2015年 映画『マエストロ!』のエンディングテーマを担当。4月4日よりテレビ東京の『美の巨人たち』のメインテーマおよびエンディング曲を担当
5月16日、佐渡裕指揮、トーンキュンストラー管弦楽団の定期演奏会で華々しくウィーン・デビュー

最新CD情報

最新CD情報

(左)《皇帝》&《戴冠式》辻井伸行&オルフェウス室内管弦楽団
発売日:2015年1月21日
発売元:avex CLASSICS

(右)マエストロ!~辻井伸行 with オーケストラ自作集
発売日:2015年1月28日
発売元:avex CLASSICS


ピアニスト・作曲家 辻井伸行氏

Nobuyuki Tsujii■1988年9月13日、東京都生まれ。先天性の「小眼球症」という視覚障害を持ちながらも、幼少の頃よりピアノの才能に恵まれ、98年、10歳でオーケストラと共演してデビューを飾る。2000年にはソロリサイタル・デビュー。2005年に、ワルシャワで行われた「第15回 ショパン国際ピアノ・コンクール」に最年少で参加し「批評家賞」を受賞した。2009年6月、アメリカ、テキサス州フォートワースで行われた「第13回 ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で、日本人として初の優勝を果たし、以来、日本を代表するピアニストの一人として国際的な活躍を繰り広げている
【オフィシャルサイト】www.nobupiano1988.com


2015年6月号掲載