真の自分を解放することで、可能性ってもっと広がる気がするんです

真の自分を解放することで、可能性ってもっと広がる気がするんです
©Mitsuaki Koshizuka

音楽プロデューサーとして様々なプロジェクトに携わる一方、ユニットやバンドなど独自の音楽活動を展開している日向大介氏。拠点を構えるLAのスタジオで、その飾らない素顔に迫った。

バンド活動再び。人生を変えたボストン留学時代

バンド活動再び。人生を変えたボストン留学時代

作曲家の村井邦彦氏に長年の友人であるアーメットを紹介された、City of HopeのPartyで。アーメットの長年の実績に対する表彰式が行われた。左から日向氏、当時のSony Music社長の丸山氏、フジパシフィック会長朝妻氏、村井邦彦氏


 もうすぐ東京で開催されるライブに参加するため、日本にしばらく滞在します。2013年に結成したEncounterは、オーディオとビジュアルを複合したスペース・ロック・バンド。ライブコンセプトは“宇宙”で、神秘的な光景を楽しみながら体感する音楽紀行といったところ。メンバーは、リードボーカルの鈴木みかりと、Viper Roomでの経験を持つDJ FumiとPop TonicのギタリストKazの4人。その中で僕はキーボードとボイス・モジュレート・シンセサイザーを担当してます。平均年齢は、僕を除けば20代後半かな(笑)。歌詞は日本語と英語が半々。アメリカのミュージックシーンでブレイクを狙う場合、僕としては日本語が混ざっていた方が効果的だと考えています。音楽のスタイルを含めて、いい感じ“変わっている”ということにかけては自信があります(笑)。

 僕は元々1986年にテクノポップバンドINTERIOR(のちにINTERIORSに改名)でデビューしているんです。1996年には音楽ユニットCAGNETを結成。CAGNETはTVドラマ「ロングバケーション」や「ラブジェネレーション」などのサウンドトラックを担当していました。その後、プロデュース業で忙しく、バンド活動を一時中断していたんですが、10年程前から準備を始めて、ようやく編成したのがEncounterなんです。

 僕がバークリー音楽大学に留学のため渡米したのは19歳の時。冬は体感温度マイナス50℃にもなるボストンで、正直こんなところで暮らせるのかと思いました(笑)。同期にはギタリストのスティーブ・ヴァイなどがいます。1年目はピアノ科に所属していましたが、ある日校内でエレクトロニック・プロダクション・アンド・デザイン科というのを見つけて、部屋に入ってみたら見たこともない機材が山とある。これはピアノなんかやってる場合じゃないなと、翌年専攻を変えました。これがきっかけでINTERIORに参加し、細野晴臣さんのプロデュースでメジャーデビューすることになるんだから、人生ってわからないものですよね。

 それからルームメイトのヒラリーとの出会いも大きかったですね。有名な父親を持ち、ビバリーヒルズで生まれ育った資産家の息子だったけれど、とても気が合って、学校が休みになると一緒にカリフォルニアに遊びに行ったりしていました。そもそも彼がいなければ、ロサンゼルスに来ることはなかったと思います。東海岸と西海岸では、音楽に対する考え方もまったく違うんです。要するに、西海岸の人は役者的な発想というか、演奏と自分を魅せるのに優れている。音楽エンターテインメントの幅の広さを感じましたね。

プロデューサーとして始動。“運”がもたらした人との出会い

プロデューサーとして始動。“運”がもたらした人との出会い

小室哲哉氏は「大介さんからは、シンクラヴィアの使い方、アメリカのミュージシャンとのコミュニケーションの取り方、スタッフの配置、音楽プロデューサーとしての音のまとめ方など色々なことを教えてもらった」と語っている


 日本に帰ってからバンド活動を経て、小室哲哉君を始め、トップ日本人アーティストのプロデュースや作曲を手掛けていたんですが、その後、縁あって、1990年からロサンゼルスに拠点を移し音楽活動を開始。今はEメールで簡単に音源を送ることができる時代ですが、当時は郵送で国際便しかなくてね。ある日本人ミュージシャンにシングルカット曲を依頼されたんですが、これが締め切りギリギリで仕上がったんです。初回プレスは50万枚。しかも工場を抑えて曲を待っているという、ホントに危うい状態。最終手段として、もう日本に持参するしかなくなって。でも、僕は仕事があるからどうしても行けない。そこでLAXに直行し、日本行きの飛行機に搭乗する日本人を探し、事情を説明して事務所まで届けてもらったんです。はい、その日に会ったまったく知らない人です(笑)。ちなみにそのシングル曲は6、70万枚程売れたと思います。今考えると随分無茶でしたよね。

 不思議なことに、ロサンゼルスに住み始めてから、僕の音楽人生に影響を与えてくれたたくさんのアメリカ人ミュージシャンに会えているんですよね。例えば、高校生の時に初来日ライブを観に行ったシカゴ、留学して音楽を学びたいと思うきっかけになったジャズバンド、ウェザー・リポートやアース・ウィンド・アンド・ファイアー、そしてダイアナ・ロス。彼女とは、フジテレビのドラマ「愛という名のもとに」の主題歌のプロデュースをする機会に恵まれました。それからハービー・ハンコックとは、日本で開催されたイベントをプロデュースするために一緒に日本に行ったんです。ところが彼はビザを申請していなかった。当時は成田空港の入国審査の列って日本人もアメリカ人も同じ所でね。何かあった時のために、ハービーの後ろにくっついて並んでいたんです。ところが、いざハービーの番になったら、入国審査官が、彼の顔を見た瞬間に“Welcome to Japan! Mr. Hancock!”。パスポートも見ていないのに第一声がこれ。結局、無事に入国できましたが、国境を越えた音楽の偉大さを目の当たりにして思わず身震いしました。またハービーがめちゃくちゃ良い人なんですよ。僕が仕事でトラブルがあって落ち込んでいた時、夜中にライブ会場でピアノを弾いてたんです。気がついたらハービーが隣でベースを鳴らしてる!そのまま二人並んでピアノを連弾したこともありましたね。

 音楽プロデューサーって、一般的には音源を作ったり、制作の総指揮を取ったりするのが主な業務なんですが、僕は他にもミキシングやボーカルコーチなどをやっています。初めてボーカルコーチに興味を持ったのは、小室哲哉君のソロ活動のプロデュースをした時。マイケル・ジャクソンや数々の有名アーティストを手掛けたセス・リグスというボーカルコーチのクラスに一カ月ほど通ったんですよ。その時に僕が師事したボーカルセラピストのジョン・バングルとは、以来、一緒に仕事をするようになり、僕がプロデュースするプロジェクトには必ず彼にボーカルコーチをお願いしていました。残念ながら、ジョンは病気で亡くなってしまったのですが、彼が僕のボーカルコーチの能力を導き出してくれたんです。

 どんなに良い曲が書けても才能があっても、仲間に恵まれなければ、この業界ではやっていけない。それは“運”とも言えるのかもしれないけれど、これだけたくさんの素晴らしい人たちに、ベストなタイミングで出会える機会に恵まれてきたことは、本当にありがたいと思っています。

先人に学んだプロデュースの真髄

先人に学んだプロデュースの真髄

今年5月5日に代官山Hillside Terrace(代官山春花祭大音楽祭)で
行われたスペース・ロック・バンド“Encounter”のライブにて


 僕が尊敬するプロデューサーの一人に、アーメット・アーティガン氏がいます。彼はアトランティックレコードの創始者で、あのレイ・チャールズを発掘したプロデューサーでもあるんです。レイ・チャールズの自伝的映画『RAY』(2004年)にも登場していて、アーメットがレイに進むべきスタイルを説き、先導し育てていくシーンがたくさん出てきます。アーティストって、自分より先に有名になった人に対しての憧れが強いから、その人のようにならなきゃダメ、というような思い込みが生まれがちなんです。才能ある人ほど、成功者を追いかけて自分自身をさらけ出せないんでしょうね。

 僕がこの映画で最も忘れられないのは、まだ駆け出しだったレイに、アーネットが「ペニーにこだわれば小銭しか手に入らない。ドルを望めば大金が入る」と語る場面。つまり自分を安く見積もるなと諭しているんですね。後年、大手レーベル会社に移籍しようとするレイが、引き止めようとしたアーメットに同じセリフを言ったら「オレはお前を誇りに思う」と返したんです。この場でこんなこと言える人ってなかなかいない。つくづくプロデューサーっていうのは、人を育てる仕事なんだなと実感しました。彼はその後、アレサ・フランクリンやレッド・ツェッペリンなど、幅広いジャンルのアーティストを手掛けていくんです。僕はアーメットに何度かお会いしたこともあるんですが、なんと言うか、人を“アーティスト”にすることができる器があるんですよね。褒めちぎって大事にする一方で、厳しいこともきちんと伝える。でもこれって日本的な人の育て方とは真逆で、とにかく音楽さえ良ければいいっていうか。つまりアーティストの素行なんて良かろうが悪かろうが大したことではないんです。でも日本人はプロデューサーっていうと“先生”になってしまう。だから素行や生活態度にまで口を挟んだりするんです。本来、プロデューサーってもっとアーティストを尊敬しなきゃいけないと思うんですけど、年配のプロデューサーが、若いアーティストを心から尊敬し、それを表現するって、日本の文化や慣習からは難しいのかもしれませんね。

日本人の伸びしろ。もっと“自分勝手”を許してもいい

日本人の伸びしろ。もっと“自分勝手”を許してもいい

(左)日向氏イチオシのボーカル&ピアニストのIRI(アイリ)さんと共に
(右)日向氏の拠点である、VSA STUDIO。20年以上にわたり100枚以上のアルバムがここから生まれた


 今注目している日本人アーティストは、ONE OK ROCKやPerfume。音楽性の好き嫌いとかいうレベルではなくて、よくここまでやったなと。日本的な音楽は昔なら批判されて終わるところが、突き抜けて広く受け入れられているのは立派だと思います。

 それからボーカル&ピアニストのIRI(アイリ)。昨年大学を卒業したばかりですが、日本からライブハウスをブッキングして、アメリカに渡り、ユースホステルのような所で暮らしながら、単身ライブを敢行しちゃった。とにかく腹が座ってますね。そういう根性とかエネルギーって意外と重要なんですよ。彼女とはニューヨーク在住の友人を介して知り合って以来、アドバイスしたりボーカルコーチをしたりしてます。今は、路上やライブハウスを中心に精力的に活動しているみたいで、地元の鎌倉では100人集めたり、湘南T-SITEでのパフォーマーとしての活動や、TVKに出演したりと頑張っていますね。メジャーデビューの話がないこともないんですが、今の業界では彼女が本当にやりたいことがまだできない。簡単に自分を変えてはダメですよ。時機を見ながら待つことも真の成功には欠かせない要素だと思いますね。

 持論ですが、どんな分野でも夢を持って進むなら自己中心に生きる道を優先しても僕はいいと思います。人のことを考えるより、まずは自分の都合。自分に正直に意のままに夢を実現することで、ひいては人の幸せにも繋がるはず。だからそれが自分勝手と言われようとも、もうちょっと寛容になっていい。特にここアメリカではそれが必要なのだから。乱暴な言い方かもしれないけれど、スポーツでも音楽でも、自分勝手なヤツが集まって来てくれると嬉しいな。プロゴルファーの松山英樹選手なんかいいですよね!日本人に残された可能性ってそこの部分だと思いませんか?真の自分を解き放つことで、才能ってもっと広がる気がするんです。


音楽プロデューサー 日向大介氏

Daisuke Hinata■学習院大学在学中、バークリー音楽大学に留学。帰国後、テクノポップバンドINTERIORSの活動でグラミー賞にノミネートされる。その後、小室哲哉等のトップアーティストたちのプロデュースを手掛ける。1990年、LAに移住。1996年に、自身の音楽ユニットCAGNETで作曲プロデュースを担当した、TVドラマ「ロングバケーション」のサウンドトラックが大ヒット。1998年から2年間で6作のキューバンミュージックを発表。1999年にはアジアで話題を呼んだ映画「King of Comedy」のサウンドトラックを手掛ける。同年、ワールドミュージックで最も権威のある「New Age Voice」誌でベストワールドアルバムを受賞。2013年よりバンドEncounterで活動中
【オフィシャルサイト】www.daisukehinata.com
【Encounter】http://encounter.jp
【Hyper Disc】www.hyperdisc.com

日向大介氏が手掛けた作品より代表作(一部)

日向大介氏が手掛けた作品より代表作(一部)

(左)『ロングバケーション』オリジナル・サウンドトラック

(中央)『ラブジェネレーション』
オリジナル・サウンドトラック Limited Edition

(右)『空の鏡』松たか子


2015年6月号掲載