特別インタビュー|インディカー・シリーズレーサー
佐藤琢磨氏

特別インタビュー|インディカー・シリーズレーサー</br>佐藤琢磨氏

F1レーサーとして活躍後、インディカー・シリーズに転向し、2013年に第3戦ロングビーチ決勝で、初優勝を遂げた佐藤琢磨氏。フォンタナレースに参戦した際に話を伺った。

トップ争いのオーバルコース フォンタナの熱き戦い

 先日、カリフォルニア州フォンタナのオートクラブスピードウェイで開催されたインディカー・シリーズ第11戦は、非常にエキサイティングなレースでした。車の調子も最高で、優勝を狙えたレースだったのですが、最後9周を残すところで、左右を他の車に挟まれて行き場を失い接触。アクシデントのためリタイアを余儀なくされ、不本意な結果に終わってしまいました。

 でも今回のレースは、非常に興味深い内容でした。フォンタナでのレースは、灼熱の日中を避けて、日没後にスタートするナイトレースが常ですが、今回は日中のレース。観る方もやる方も暑いのは辛いのですが、レーシングカーも日夜で大きくパフォーマンスが変化します。まず、昼と夜では、湿度や気温の変化から、空気密度が違ってくるんです。レーシングカーには、飛行機の羽をひっくり返したようなウイングが付いていて、これで空気の力を使い、車を路面に押さえつける〝ダウンフォース〟と呼ばれる空力を生み出しているんですね。コーナーを高速で回るために必要なんですが、高温の昼のレースではこのダウンフォースが減ってしまう上に、路面温度も華氏130度を超える熱で、タイヤの性能劣化が激しく、車が滑ってしまうのを抑えるために、より強大なダウンフォースが必要になるわけです。現在、インディカー・シリーズのエンジンサプライヤーには、ホンダとシボレーの2大メーカーがいて、今シーズンから初めてそれぞれのメーカーが開発したエアロパッケージ(空気力学的な抵抗の低減などを目的とした部品。ストリート、ロード、オーバルなどコースに合わせたパッケージがある)の導入が始まったばかりだったので、日中のコンディションに合った最適なダウンフォース量の設定を予測するのが非常に困難でした。

 この新しいエアロパッケージの影響で、これまではシボレーが優勢なシーズンだったのですが、今回のフォンタナでは、ホンダ勢がぐっと距離を縮めてトップ争いに加わることができました。ただしダウンフォースが強大になった分、結果的にパックレーシング(集団走行)になりアクシデントも起こりやすくなっていました。時速220マイル(354キロ)の世界での接近戦になるわけです。観客にとっては非常に盛り上がるレースでしたが、終盤は連続で事故が起きたりして、ちょっと怖かったですね。2011年のラスベガスのレースで大事故があって、それ以降、オーバルレースでは、ダウンフォース発生量を技術ルールにより強制的に少なくして、後続車を接近できないようにしていたんです。これでパックレーシングやアクシデントを抑えてきたんですが、抑制し過ぎると今度はレースが退屈になってしまう。今回はハイスピードオーバルらしい抜きつ抜かれつの連続で、最後まで勝者がわからないエキサイティングなレース展開になりましたが、やはり安全は最優先されるべきなので、その辺りのバランスはなかなか難しいですね。

 今後も、ザ・ミルウォーキーマイル(ウィスコンシン)やポコノレースウェイ(ペンシルバニア)など、オーバルレースが続くので、今回のレースのようにトップ争いに食い込めるように頑張りたいと思っています。

大学進学後に一念発起! 25歳でF1ドライバーに

大学進学後に一念発起! 25歳でF1ドライバーに

(左)1997年、鈴鹿サーキット・レーシングスクール生の頃。当時20歳

(右)2001年、イギリスF3戦にて、日本人初のチャンピオンを獲得


 僕がレースを始めたのは20歳の時。世界中の多くのトップレーサーは10代前半、早ければ3、4歳で始める人もいるからかなりの後発です。小さい頃から車が大好きだったけど、モータースポーツには縁のない幼少時代を過ごしました。そんな僕の人生の転機となったのは10歳の時。日本で開催されたF1を鈴鹿サーキットで観て、その魅力に一瞬で取り憑かれたんです。といってもレースなんて簡単に始められるものじゃないですから、身近にあった自転車に毎日跨がってその夢を追いかけていました。それが僕にとってレースを表現できる唯一の方法だったんですね。学生時代には本格的に自転車競技を始め、世界を目指していましたが、モータースポーツの夢はどこかで諦めきれずにいました。

 そうは言いつつも活動資金はない、経験もない。そもそもどうしたら良いのかわからない。そんな時、雑誌で鈴鹿サーキットのレーシングスクールを見つけたんです。そこには入学の条件として20歳以下という年齢制限があり、19歳だった僕は、これは最初で最後のチャンスだと一念発起し、大学を休学しつつも、インカレまでは自転車を続ける傍ら、すぐにレーシングカートを始めました。その後、カートレースと並行してレーシングスクールに入学。鈴鹿サーキットという世界屈指の国際レーシングコースで練習できることに加え、卒業後のスカラシップが大きな決め手となりました。その制度がなければ、僕はこの世界に入ることはできなかったでしょう。

 ただし、入校が一難でした。まず、当時はオーディション制度ではなく、履歴書による書類審査でした。入校希望の選手達の中にはレーシングカートの全日本チャンピオンやヨーロッパ選手権に出場している子もいて、みんな年下にも関わらず、既に10年近くのレースキャリアの持ち主ばかりだったのです。対する自分はモータースポーツ経験も浅く最年長、受かるわけがなかった。しかも、倍率は10倍でした。そこで入校説明会での質疑応答で、「話を聞いてほしい。面接をしてください」と嘆願したんです。サーキット側は一瞬困惑されていましたが、協議の結果、希望者は面接を受けられることに!その場で70名全員が面接になりました(笑)。その甲斐あってか入校が決まり、1年後には、念願のスカラシップを獲得して、よやくレース人生のスタートが切れたのです。そして21歳で単身渡英し、イギリス人夫婦の家にホームステイして、平日は語学学校に通いながら、週末はレースに明け暮れました。他の人の2倍は頑張らなきゃいけないと、がむしゃらに挑戦して、多くの失敗を繰り返しながら走り続けました。そして、多くの人に支えられて、2002年に25歳でF1デビューを果たしました。

 念願のF1ドライバーになってから7年、素晴らしい環境でレースすることができましたが、2008年のシーズン半ばで、所属チームが財政難で撤退せざるを得ない状況に追い込まれ、その後もF1復帰に向けて活動したのですが、実現しませんでした。F1で90戦以上も走れたのだからと思う反面、トップを走りたいという夢には届かず、自分のなかで思いを断ち切れずに模索していた頃、インディカー・シリーズに出会ったんです。

F1からインディカーへ ロングビーチ第3戦で優勝

F1からインディカーへ ロングビーチ第3戦で優勝

(左)2013年4月、ロングビーチ・グランプリで、日本人として悲願の初優勝

(右)2004年6月、F1アメリカGP。3位でチェッカーを受け、14年ぶりの日本人表彰台を獲得


 初めてインディカーを観たのは、2009年5月9日。「第93回インディ500」ポールデイの視察でした。オーバルコースで受けた衝撃は今でも忘れられないですね。僕はターン1の内側に立っていたのですが、230マイルのスピードで車が突っ込んでくるんです。そのままコーナーに入っていって、滑る車体をコックピットでドライバーがコントロールしているのを見た時、圧倒されました。自分には到底できないと思ったけど、次第にどんどん興味が湧いてきました。その時はまだF1復帰の可能性もあったのですが、そんな事情も理解した上でオファーしてくれたチームのオーナーがいました。そして翌年、僕はKVレーシングからインディカー・シリーズのドライバーとして、第2のレース人生を踏み出すことを決意したんです。

 F1からインディカーに転向したものの、最初の数年は試行錯誤し、なかなか結果に繋がりませんでした。しかし、現在所属するA・Jフォイト・エンタープライズに移籍した、2013年4月21日の第3戦ロングビーチ・グランプリにて、悲願の初優勝を果たすことができました。今後の目標は伝統の「インディ500」を制し、シリーズチャンピオンになること。アメリカに来て6年が経ち、8月2日に行われるミッドオハイオの「Honda Indy 200」で、ちょうど100戦目を迎えます。F1での出走記録を超えたのだなと思うと、ちょっと不思議な気がしますね。

 F1はチームごとにオリジナルの車を開発しなければならないので、チーム間のパフォーマンスの差が大きいんです。F1で勝つというのは、正しいタイミングで正しいチームに所属し、すべてが揃っていることが不可欠なんですね。今ならメルセデスチームだし、少し前ならレッドブル、昔ならフェラーリ、マクラーレンなど、そういう一流チームに所属しないとチャンピオンどころか一勝もできない。一方、インディカー・シリーズの場合は、前述のように今シーズンからホンダとシボレーが独自のエアロパッケージを開発しているものの、基本は共有部分が多い。つまり、チーム間の道具の差が少ないんです。またF1は1000分の1秒で計測するのに対し、インディカー・シリーズでは1万分の1秒まで計測する。それぐらい僅差で戦うんですよ。だからインディカーでは、小さなチームでも優勝を狙うことも十分可能なんです。いわゆるアメリカンドリームを体現するスポーツでもあるんですね。

言葉を超えた信頼関係が 究極のマシンを生む

 言葉を超えた信頼関係が 究極のマシンを生む

2002年、F1デビューの年。鈴鹿の日本GPで5位初入賞を果たす

 レーシングドライバーになっても、車への興味は尽きず、趣味はもっぱらドライブであり、車での旅行が大好きです。というか、車輪がついて転がれば何でもOK(笑)。でもライフスタイルが変わるにつれて、趣味の幅も広がってきました。子供が生まれた時には、綺麗な写真を残そうと、一眼レフを買ってあれこれ研究していたし、日常のなかに楽しみを見出して、ピンとくるものがあると入れ込んでしまいますね。最近は、息抜きで始めたゴルフが面白くてハマっています。

 現在、インディアナポリスで単身赴任中。一旦シーズンが始まってしまえば、毎週のようにレースがあるのでかなり忙しいです。週の始めにトレーニングをして体調を整え、週末のレースに臨む。全米を回りながらシーズンを戦い、時間が取れればテキサスのチームや、西海岸にあるホンダの開発チームに足を運んでディスカッションすることもあります。シーズンが終わったら日本に帰って営業活動やイベント、スポンサーアピアランスなどが続きます。多忙なのはみんな一緒ですね。でもそのことに不満を言っても始まらない。そこに割くエネルギーがあるのなら、楽しいことやポジティブなことを見つけた方が良いですよね。

 それでも、いくら前向きに進もうと思っても、やっぱりスランプは避けて通れません。レースで結果が出なかったり、悪い流れがあまりにも続くと、精神的にも追い詰められ、ミスがミスを呼んだりするのです。でも大切なのは、その要因を見つけ出せる環境に身を置く、あるいはそういった環境を作っていくことだと思うんです。自分がやるべきことは自身が頑張らねばならないけど、できないことはサポートしてもらう必要があります。どんなにめげても、もう一度自信を持てるようになるのは、そういう人たちからの支えがあってこそ。常々、身体や心のケアをしてくれる人たちや、応援してくれる人たちを大切にするべきだと痛感しています。

 レースの現場も同じです。チーム全員の力がひとつにならなくてはなりません。なかでもエンジニアとドライバーは、コーチとアスリートのような関係。ドライバーは自分の腕でなんとかしてやろうといつも思っていて、それはもちろん大切なことなんですけど、頂点の世界まで行ったら、もう科学の世界。車が走れるよりも速く走ることはできないのです。だからエンジニアと良好な人間関係が築けていないとうまくいかない。以心伝心と言うのでしょうか。お互いを理解し合える関係が作れないと共同作業はできません。言葉を超えたコミュニケーションが、ひとつの形となって、メカニックたちが車を作る。チームクルーひとりひとりの、ドライバーを勝たせてやろうと思う気持ちが車体に現れてくる。最高の車になるか否かは、メカニックたちの魂があるかどうかで、そのクオリティが大きく左右されるのです。

〝スタンダード〟を打ち被れ 海外で活躍する日本人を応援しよう

 僕は必ずしも海外志向ばかりが良いとは思っていません。だけど自分が置かれている状況が〝スタンダード〟だと思っていると、色んなことに気付けない、挑戦できない、感謝できなくなる。なので、若い時に世界を見るのは貴重な体験になると思います。違う文化や人に触れることで、考え方も変わるし、人間として成長できるきっかけにもなる。海外に出てみてこそわかることがたくさんあるし、夢に近づけるかもしれない。たとえ挫折しても、その状況から新しい活路が見い出せるはず。絶対に無駄にはならない。そのあと日本に帰って実力を発揮してもいいわけだし。遠回りするのも悪くはないと思いますよ。僕もここまでの道乗りは、山あり谷ありだったけど、それを超えてきたから今がある。多くの犠牲も払ったし、うまく行かないこともたくさんあった。でもそのたびに、新しい出会いがあり、国境を超えてたくさんの人のサポートをもらったんです。どんな時も出会いを大切にして、自分の夢を叶えてください。

 今海外に住んでいる方には、ぜひ現地で頑張っている日本人を応援してもらいたいですね。僕も日本語で「頑張って」と言われると凄く嬉しい。背中を押してもらえるし、不思議な絆が生まれるんです。東京ならすれ違った時に肩が当たっても通り過ぎるんでしょうが、海外なら「あ、日本人ですか。どうも!」なんて、むしろちょっと嬉しくなる。そんな些細なやりとりが、日本人であることの誇りや喜びになると思うんです。一期一会の出会いのなかで、お互いに誠意を持って喜びや幸せを分かち合えたらいいですよね。

インディカー・シリーズとは?

IndyCarが主催する、フォーミュラカー(オープンホイール)を使用したレースでは北米最高峰に位置するカテゴリーで、初開催は1911年。毎年5月に開催される伝統の「インディアナポリス500マイルレース」は来年、記念すべき第100回を迎える。

 

 米国を中心に転戦し、年間16〜18戦で選手権を競う。2003年〜2011年までは日本でも開催されていた。「インディ500」は、F1モナコGP、ル・マン24時間レースと共に、世界三大レースに数えられる。

 最高速度は380キロに到達し、周回レースカテゴリーでは、至上最速を誇り、決勝観客動員数は30万人を超える世界最大級のモータースポーツイベントである。 (出典元:ウィキペディア)


インディカー・シリーズレーサー 佐藤琢磨氏

Takuma Sato■1977年1月28日生まれ。東京都出身。10歳の時にF1日本グランプリを観戦し衝撃を受ける。自転車競技にて全国高校総体優勝後、早稲田大学に進学するも、1997年に鈴鹿サーキットのレーシングスクール“SRS-F”に入学し、主席で卒業。翌1998年、渡英。2001年にイギリスF3選手権チャンピオンシップ獲得に加え、国際F3レースを制する。2002年、DHL Jordan HondaよりF1に参戦。その後、2009年までLucky Strike BARホンダ、Super Aguri F1 TeamでF1レーサーとして活躍したが、2010年2月にKVレーシングからインディカー・シリーズに参戦を発表。レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングを経て、2013年にA.J.フォイトレーシングチームに移籍。同年4月21日にインディカー・シリーズ第3戦ロングビーチ決勝で、日本人初優勝を飾った。愛車はホンダ・ビート、ミニ・クーパー【オフィシャルサイト】www.takumasato.com


2015年8月号掲載