秋の特選インタビュー|シンガーソングライター
アンジェラ・アキさん

秋の特選インタビュー|シンガーソングライター  </br>アンジェラ・アキさん

撮影:Gene Shibuya

 2014年8月4日に日本武道館で行ったコンサートを最後に、10年間の音楽活動に区切りをつけ、無期限休止に入ったシンガーソングライターのアンジェラ・アキさん。日本で培ってきたキャリアを捨て、まずは米国の大学で音楽を一から学ぶため、渡米して1年。心境の変化や将来の夢、10月にLAで開催する一夜限りのチャリティーコンサートについてなど、今だから明かせる過去、現在、そして未来への熱い思いを語ってもらった。

米国の大学で音楽を学ぶため
家族でロサンゼルスに移住

 昨年の夏に日本武道館で行ったコンサートを最後に、日本での活動を無期限休止し、ロサンゼルスに渡って音楽大学に入学しました。27歳でデビューしてから10年。ずっと走り続けてきながらも、音楽の知識や技術という部分では、まだまだ足りないというジレンマを常に抱えていて、このまま日本で活動するよりも、今後の夢や目標に向けて必要な知識を得ることが必然と感じてきたことが渡米を決めた大きな理由です。

 

 一番切実に感じていたのは、進化できない自分自身に対してのもがきのようなものだったと思います。色々な音楽を自分なりに進化させようとして作曲を試みても、カテゴリーや何かの前提の中で結局は縛られてしまう。そういったことが息苦しく感じ出した頃、このままだったら、その繰り返しじゃないかと思えてきて、見つからないパズルのピースを探しているかのように毎日迷っていました。このままでいいのだろうか…と。

 

 念願だった日本デビューを果たした当時、既に27歳で遅咲きでした。その時よりもさらに10歳は歳をとったわけですから、余程の意気込みがなければ現状から抜け出せないまま何も始まらないと思い、一大決心しました。誰にも自分の名前が知られていないニュートラルな場所で自分自身を見つめ直し、また一から頑張ってみようと。だから、今は27歳のあの頃よりも、火がついているかもしれませんね。

 夫には相談した途端、「待ってました」と言わんばかりに、迷うことなく賛成してくれました。そして「ロスに行ったら僕が家庭に入りたい」と自ら言い出してくれて…。夫は私の所属していたレコード会社の看板音楽ディレクターでした。結婚を機に退職。その後は個人事務所を設立して二人三脚でやってきました。そんな夫もいつまでこの状態を続けるのかなと思っていたみたい。私を育ててくれた人でもあり、私のポテンシャルを感じてくれている人。そして、私の音楽を最も理解してくれている人だからこそ一番身近で、私の気持ちを汲んで背中を押してくれたんだと思います。

日本ではやり尽くした
音楽活動の無期限休止宣言

日本ではやり尽くした <br> 音楽活動の無期限休止宣言

撮影:Gene Shibuya

 オリジナルアルバムとしては最後となった『Blue』と、そのアルバムを携えて2013年に行った全国ツアーが、私の中では最高傑作でした。このツアーが終わった時、「もうここでできることはすべてやった」という心境でした。

 〝活動休止〟という言葉は、それ自体がある種の戦略として使われることも多いのがこの世界の現実ですが、私の場合は本当に無戦略な活動休止宣言。だから、シンガーソングライターのアンジェラ・アキとして日本に帰る時は、アメリカで成功を遂げて、胸を張って帰れる時かなという、それなりの覚悟があります。そして、それが誰よりも容易ではない道のりだとわかっているので、無期限休止としか言いようがありませんでした。デビューから10年の活動の節目でもあったので、今日まで応援してくれたファンの皆さんに、「今までありがとう」という気持ちを込めて、コンサートツアーで全国を回りました。それから、ちょうど1年になります。

音楽制作を極めたい
次の目標はグラミー賞

 長年の夢であり、音楽を始めた時から目標に掲げていることの一つがグラミー賞です。英語という世界共通の言語で歌うだけで、もっとたくさんの人に聴いてもらえる可能性が広がりますよね。日本にいるよりも、外に飛び出してみようと決断したからには、目標を達成するまでは立ち止まってなんていられません。

 グラミー賞だけでなく、「EGOT」、つまりエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞(オスカー)、トニー賞の4つの賞すべてを日本人として初めて獲りたいと本気で思っています。当然、グラミー賞を受賞している人は毎年いますが、私はミュージカル音楽も手掛けたいので、トニー賞でも評価を受けたいと思っています。それに、オスカーを獲るために映画音楽も制作したい。そういう高みを目指しているので、尚更ここLAに身を置かないと始まらなかったんです。

 大学に入ったのは、自分が今まで属してきたポップスとは異なるミュージカルの音楽制作も視野に入れていたので、日本での経験だけで作るよりも、そこを深掘りしてきちんと学ぶことが大切だと思ったことが理由の一つです。

 私はシンガーソングライターとして活動してきましたが、常に自分自身が表に出て歌うことにこだわっていないと言うか、そこにエゴがないんです。それこそケイティ・ペリーが次に発売する新曲のライター集団の一人になりたいと思っているくらいですから。自分だけの曲であれば限られた表現でしか歌うことができませんが、それだけに限定せず、様々なジャンルの音楽を制作したいとずっと思ってきたので、そういうことも含めて音楽を一からきちんと学びたかったんです。卒業したからといってグラミー賞が獲れるわけではないので、いつまで大学に在籍するかは未定です。ただ、40歳になるまでに、世界の人たちと勝負ができるスタートラインにはきちんと立っていたいと思っています。

同級生は20歳も年下
素性を隠し23歳になりすまし!?

同級生は20歳も年下<br> 素性を隠し23歳になりすまし!?

撮影:Gene Shibuya

 昨年の夏にフレッシュマンとして入学し、地元の高校を卒業したばかりの若者たちに混じって勉強しています。入学前に「私は今、こういう状況なんですけど」と学部長に相談した際、「この子たちはあなたみたいなキャリアが欲しくてこの学校に来ているから、マスタークラスなどを教えてくれませんか?」と尋ねられました。「いえ、まったくそういうことではなく、通常の学生として扱ってほしい」とお願いし、入学させてもらいました。


 私が籍を置くポップス科は、500~1000人ほどの応募者の中から、25人しか入れない狭き門です。まさに全米からソングライター志望の選りすぐりの学生たちが集まっています。まず、そのレベルの高さにびっくりしました。これまでの10年間で共演した誰よりも歌がうまいし、曲の作り方を見ても、「なんで18歳の君が、恋愛を1、2回しかしたことない君たちが、そんな深い詩が書けるの?」と思うほどレベルが高い。日本で見てきたプロフェッショナルの中でも、こんなに度肝を抜かれたことは一度もありません。私自身、これほどまでに謙虚になったことは今までにないほどです。これくらい打ちのめされないと這い上がれないんだと、痛感しました。だから今、自分が成し遂げようとしていることの大きさを改めて実感しています。

 ポップス科のクラスでは作曲、作詞、オーケストレーションに至るまで、集中して勉強していますが、日本語で曲を書くのと英語で曲を書くのとでは、まったくモードが異なります。英語の歌詞は韻を踏む。素直な気持ちで、素敵なメッセージを伝えつつ、韻という部分が曲のIQの高さに反映するみたいなところがあります。日本語の歌詞では、韻を踏まなくても成立するので、同じようなメッセージを伝えたくても英語の時とはアプローチの仕方や伝え方がまったく違ってきます。久しぶりに英語の曲を作り始めると、その部分での刺激が一番大きいですね。今の若い世代の子たちがどうやって曲を作っているのかを見て、ジェネレーション・ギャップを感じながらも大いにインスパイアされています。

 20歳も年下のクラスメイトに囲まれて1年が経ちましたが、誰もまさかこんな所に37歳の同級生がいるなんて思わないので、周囲には23歳ぐらいで通しています(笑)。今までの経歴を特にクラスメイトには話していませんが、「ステージに立つとなんか私たちと雰囲気が違うよね」と、単に歌が上手いとかではなく、空気が違うと言ってくれます。それは経験からくるものなのでしょうか。でも、そんな年下の彼らから貰うエネルギーは毎日溢れんばかりです。

 音楽理論などこれまで感覚だけでやってきたことを改めて学べたことで、ミュージシャンとして成長を感じられた、貴重な1年になりました。

徳島の田舎ではピアノが唯一の
アイデンティティーだった子供時代

 四国、徳島県の〝ド〟が付くほど田舎の出身で、子供時代は音楽に触れる機会がそう多くあったわけではありません。父が聴いていた演歌と、『マッサン』のエリーみたいにアメリカから日本の田舎に嫁いできた母が聴いていた70年代の洋楽のなかで育ちました。つまり八代亜紀VSカーペンターズのような(笑)。

 当時、家に簡単な電子キーボードがあって、父が『猫踏んじゃった』を弾いてくれたのが、ピアノとの最初の出会いでした。まだ3歳でしたが、自分なりに触ったり、即興で曲を作ったりしているのを見た父が、「音楽の素質があるんじゃないか」と思い、まずは、近所のピアノができるおばちゃんに教えてもらえるようにしてくれたのが始まりです。ピアノ教室もない山奥だったので、その後、離れた町の一番ピアノが上手な先生の教室に通わせてもらい、最初の発表会では『トルコ行進曲』を弾きました。中学校1、2年生の時は、1日何時間もコンチェルトを練習して、発表会ではトリで演奏するような生徒でした。振り返ると、自分のピアノ人生のピークは小学校6年生から中学校1年生の頃だったように思います。あの時の自分を超える瞬間は未だないです(笑)。

 今でこそハーフがもてはやされる時代になりましたが、私の幼少期はそんな生易しい時代ではなく、物珍しがられ、どこに行っても色物扱いされてきました。それがピアノが上手くなればなるほど、合唱コンクールなどで代表として伴奏させてもらえたりするので、ハーフということより、次第に「ピアノが上手な人」としてのアイデンティティーが浸透していきました。ピアノというアイデンティティーが自分の中でしっくりくるようになり、学生時代は「ピアノを辞めたら自分を失ってしまうのではないか」と思い必死にしがみついていました。ピアノは、いつしか私にとってかけがえのない存在となり、なくてはならない生涯のパートナーになりました。

家族で移住したハワイ
ポップスとの出会い

家族で移住したハワイ <br>ポップスとの出会い

撮影:Gene Shibuya

 アメリカに最初に渡ったのは、1992年、高校生の時です。それから2002年までの10年間、ハワイは家族と一緒に、ワシントンD.C.は一人で生活しながら、自分が選んだ大学に通っていました。ハワイにいた頃は、まったく英語が話せなかったので、高校入学前のサマースクールで小学校4年生の子供たちのクラスに入れられました。それはすごい屈辱でしたね。その時に「絶対、英語をモノにしてやる!」と心に誓い、高校に入学してからは毎日勉強詰めでした。

 英語を上達させるために、母から「ラジオを聴きなさい。歌から英語を学びなさい」と言われたのが、最初に洋楽のポップスに触れた瞬間でした。エルトン・ジョンの曲などを聴き、それを真似て歌ったりしながら勉強しました。90年代半ばは、グランジの最盛期だったので、ニルヴァーナやグリーン・デイ、レディオヘッドなどをよく聴いていましたね。途中からは女性のシンガーソングライターの時代に移り変わり、ウーマン・リブみたいな感じで、思春期に音楽の世界が一変するのを目の当たりにしたことで、私も歌ってみたいと強く感じるようになりました。

ワシントンD.C.の大学時代
最初の結婚、就職、音楽活動

ワシントンD.C.の大学時代<br> 最初の結婚、就職、音楽活動

撮影:Gene Shibuya

 高校3年間の猛勉強の末に、ワシントンD.C.の大学に入学。家族と離れ初めての自由を手にしました。大学では政治経済を専攻、英語も話せるようになったし、何か日本とアメリカを繋ぐ架け橋になるような仕事がしたいと、当時は大使館で働きたいと思っていましたね。それが、大学1年生だった18歳の時にサラ・マクラクランのコンサートを観て「私が、本当にやりたかったことは音楽なんだ」と確信する体験をしたのがきっかけで、初めて本格的に音楽の道に進むことを決意しました。

 そして、同じ頃に最初の夫と出会いました。彼も音楽をやっていて、若くして既に色々な所にコネクションがある人でした。彼との出会いがあったからこそ、今の自分があるんだなと素直に思えるし、ようやく前夫の話ができるようになりましたね。

 大学4年間は、学生をやりながら路上でのライブ活動をしていました。卒業してすぐに結婚した夫の繫がりで、卒業後は色々な場所でオープニングアクトをやらせてもらったり、スターバックスの端で歌ったり、自分でも精力的にプロモーション活動を行いました。当時を振り返ると「なんで誰にも見い出してもらえなかったんだろう?」とふと思うこともありますが、やっぱり都会にいないと誰の目にも留まりませんよね。

 音楽活動をやりながら、自立した老人たちが暮らすナース付きの施設を作っている会社に2000年に就職し、1年半ほどOLをしていました。朝8時から夕方の5時まで仕事をして家に戻り、晩御飯を作って夜7時には再び家を出て、深夜1時まで歌って3時に帰宅。3時間寝たら、また仕事へ行くという生活を繰り返していた頃、その状況を知っていた上司からある時、「なんでそんなに真剣に歌をやっているのか、一度観に行かせてよ」と言われました。薄暗いバーでやっていたライブに招待したのですが、次の日に出社すると呼び出されて、「君はなんでここで働いているの?」と聞かれました。「人生は一度しかない。人に何かをしてもらうチャンスを待っていたらそれは訪れない。自分に賭けないとダメだ。みんな博打で色々なものに賭けるけど、一番大事な博打は自分に賭けることだ。音楽を真剣にやりたいのなら自分に賭けなさい。それがどういう意味なのか自分で考えなさい」と諭してもらったことが転機となり、すぐに会社を辞めて時間の融通が利くレストランで働き始めました。


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