特別インタビュー|野村万蔵氏

特別インタビュー|野村万蔵氏

伝統的な狂言のみならず、「大田楽」や「現代狂言」を始め、様々な活動を行っている九世野村万蔵さん。今年の二世週祭参加で、初のロサンゼルスにおける「大田楽」「狂言」を披露し注目を集めた

二世週祭で「大田楽」を開催 形を変えて広がる古典芸能

二世週祭で「大田楽」を開催 形を変えて広がる古典芸能

(左)2015年8月、二世週祭で「大田楽」を開催。リトル東京の1stストリートでの公演

(右)8月23日、二世週祭の「大田楽」公演の合間をぬって、狂言公演の舞台となった日米文化会館の日本庭園で記念撮影


 今年の二世週祭で、ロサンゼルス初の「大田楽」を行いました。最初は遠巻きで見ていた日系の人やアメリカ人も、色彩豊かな衣装をまとって、笛や太鼓を鳴らし、大きな掛け声と共に跳ね躍るパフォーマンスに手拍子で大盛り上がり。大田楽は祭りのように誰でも参加できるので、今回のパフォーマンスにも、前日に国際交流基金ロサンゼルス日本文化センターで開催されたダンスワークショップを体験したアメリカ人50名のなかから、10名に参加していただきました。着物や作法に戸惑いながらも、3時間にわたりみっちり稽古をこなし、当日は団員16名と共に総勢26名で2回の公演を披露しました。海外において、毎回限られた時間やスペースのなかで、時には色んなトラブルと遭遇しながらも、地元の方との共同作業で作り上げるパフォーマンスはやりがいがありますね。戦後70年を迎えるこの年に、アメリカで大田楽を開催する機会をいただきとても良い経験になりました。

 平安時代末期に生まれた古典芸能「田楽」を基に作られた大田楽は、25年前に私の兄である五世野村万之丞が構成演出したものです。室町時代に廃れてしまった田楽に、能や狂言、雅楽を照らし合わせ、日本各地の伝統芸能や西洋の動きなどを盛り込み、さらに古来からの神事的な意味合いを大切にすべく、学者と考察を重ねて近代的にアレンジし完成させたのです。

 立ち上げは1990年6月に東京赤坂の日枝神社で行われた「楽劇大田楽」。森に囲まれた回廊にかがり火を焚き、神域で舞い踊りながら、人間が古来から自然や神と生きる一体感を肌で感じました。創設者である兄は、病気のため2004年にこの世を去りましたが、「楽劇大田楽」はその後、「大田楽」として狂言師や舞踏家、音楽家と共に、日本各地で開催されるようになりました。私も夏場を中心に年間10カ所以上で公演を行っていますが、やはり最初の公演は非常に思い出深いですね。

 海外でも大田楽を行う機会は多く、アメリカでは、日米修好150周年記念行事の一環としてワシントンD.C.のスミソニアン博物館で「楽劇大田楽」を披露したほか、さくら祭りパレード、ケネディセンター大ホールでも、二年にわたり上演しました。フィラデルフィアでは日米桜寄贈百周年に呼んでいただき、ハワイのホノルルフェスティバルにも参加。また日韓友情年の公式行事で訪れたソウルを始め、オーストリアのウィーン民族博物館やシェーンブルグ宮殿広場、スペインのマドリード、グラナダ、そして昨年は『赤毛のアン』で知られるカナダのプリンスエドワード島など、ここ10年間だけでも世界中を訪れましたね。公演は1時間程で、規模や人数は日本の3分の1程度ですが、演目はほぼ同じです。パレードに参加したり、今回のロサンゼルスのように広場や路上で上演することもあります。音楽、舞踏、美術、文学などの要素を持つ芸能でありながら、神事的な面を持つ大田楽は、海外でどう受け止められるのか。現地の方から見れば奇異にも映る衣装や踊りのなかにも、神や自然に対する心は伝わるのではないか、観る方の宗教と絡めて思うところがあるのではないかと考えたり。日本とは違った環境のなかで、刺激を受けながら楽しんでいます。

年間100以上の演目を上演 国問わず共感得るストーリー

年間100以上の演目を上演 国問わず共感得るストーリー

『伯母ヶ酒』


 日本では、萬狂言という団体を主宰し、和泉流狂言方能楽師として、国立能楽堂などを中心に、年間100以上の狂言や能の舞台を勤めており、1日に2~3回の演目をこなすこともあります。

 

 和泉流とは狂言の流儀のひとつで、私が属している「野村万蔵家」はその家のひとつ。狂言は奈良時代の「散楽」から派生し、その後「能」と分かれて発展した伝統芸能で、能に比べると、滑稽で風刺の効いた大衆的な演目が多いのです。

 

 現在、狂言には江戸時代から継承された250以上の演目に加え、約50ほどの新作があります。このうち頻繁に上演されるのは50~60の演目で、『棒縛(ぼうしばり)』や『附子(ぶす)』は、皆さんもご存じではないでしょうか。狂言には色んな人物が登場するのですが、なかでも「太郎冠者(たろうかじゃ)」は私のお気に入りのキャラクターの一人。太郎冠者とは大名や主人に仕えている者ですが、臆病なくせに威張ってみたり、欲をかいて失敗したりしながらも、単純でどこまでも前向き。なんとなく憎めない主役として登場する演目が多いんですよ。酒好きというのもあって太郎冠者を演じるのは好きですね(笑)。他に夫婦の話も多いのですが、女性が強く描かれている演目が多いです。古今東西問わず、日常生活で起こる何気ないことをテーマにしているので、共感が得やすいんですね。

 

 大田楽同様に、狂言もこれまでアメリカやドイツ、イタリア、フランスなどで公演を行っているのですが、国によって反応が変わってくるのは面白いですね。前述の『棒縛』は、海外でよく上演する演目で、自分の留守中に、家来の太郎冠者と次郎冠者に酒を盗み飲まれていることに気付いた主人が、2人を棒と縄で縛ったものの、2人は試行錯誤の末、酒を飲むことに成功するという話なんです。動きだけで何をしているのかわかるので、とても人気がありますね。両手を棒の上で天秤状に縛られた太郎冠者と、後ろ手に縛られた次郎冠者が、試行錯誤してやっと酒を飲めた瞬間は、拍手喝采が起こるほど。また国別でも反応は違っていて、アメリカでは『茸(くさびら)』(※注釈1)に代表される風刺の効いた単純明快なストーリーが受ける一方で、ドイツではむしろ、仲間を討つように主人に命令された太郎冠者が、命に背き仲間を逃がしてしまうという『武悪(ぶあく)』(※注釈2)のような繊細な芝居が成立するのです。ヨーロッパは歴史的に見ても芸術への造詣が深く、それもあって能や狂言に対する理解があるのかもしれませんね。

 

葛藤を乗り越え芸歴46年 今や息子3人と共演

 葛藤を乗り越え芸歴46年 今や息子3人と共演

2015年8月25日、公演終了後、楽屋に訪ねて来てくれた親交のある広瀬香美さんと


 幼い頃から、父・初世野村萬に師事し、初舞台を踏んだのは4歳の時。狂言師の子弟が初めて出る演目としても知られている『靭猿(うつぼざる)』で猿を演じたのですが、当然失敗も多かったですね。台詞はなく、舞台では身体を掻いたり、キャッキャと鳴くだけなのですが、時間が長いので衣装を着ける前に必ずトイレに行かされました。ところがその日に限って、舞台に上がってしばらくすると尿意を催してしまったんです。気が付けば足元に水溜まりが(笑)。またある時は、猿の面がずれて前が見えなくなり舞台から落ちて、観客に助け上げてもらったりということもありました。

 小さい頃は、6歳上の兄も舞台に立っていたし、大人のなかに混じってやっている嬉しさもあったので、稽古も苦にならなかったけれど、やはり中学生ぐらいから自我が目覚めて恥ずかしくなったんです。祖父・六世野村万蔵は結構厳しい人でしたが、稽古が終わると優しい。片や、父は手は出ないけれど、代わりに台詞が出ないと何十分でもじっと待っているタイプでプレッシャーが凄かった。家の中でも芸のことばかりだったから、学校に行っている方が楽しかったけれど、年頃になると、狂言の舞台に出ていることをバカにされることもあって、葛藤しましたね。色々と悩み反発しながらも、気がつけば、私にはこれしかないと思うようになったのは10代の終わり頃でしょうか。

 現在、18歳の長男・虎之介を筆頭に、3人の息子も狂言の舞台を勤めていますが、狂言師の家に生まれた者の宿命として、彼らもそれぞれ3、4歳の時に『靭猿』で初舞台を勤め、ここまできました。他の狂言師のお子さんを見ていても、舞台直前に駄々をこねて開演が遅れたりすることもあります。面で視界が遮られた状態でやらせるのは大変ですし、1年以上もかけて、時にはなだめすかしながら稽古をつける。どんなに嫌でも稽古しなきゃ終わらないという厳しさを教える、その塩梅が難しいんですね。かつて私が通った道を、今度は師として導く立場になり、改めて父や祖父の偉大さを感じています。ちなみに息子3人とも『靭猿』で猿を演じましたが、誰も粗相なし(笑)。

 今年で芸歴46年を迎えますが、スランプはしょっちゅうです。舞台で「あれ、目覚めたかな」なんて一瞬思っても、次の瞬間にはコンプレックスが生まれてくる。それをひとつひとつ払拭するしかない。若い時はやみくもに挑戦してクリアできていたことも、歳を重ねれば声や肉体の衰えを実感することもあります。それを認めながら、どうやって向上できるかを日々模索しています。

 芸を志す者は、芸が自分の手に入ったなと思ったら途端にしっぺ返しが来る。自分の血肉となっているのを実感しても、それをさらに成長させていくしかない。同じ演目でも視点が変われば新しい発見もある。技術の上達だけじゃないんですよね。昔は狂言に必要な筋肉があれば良い、着物が似合うように腹が出てても良いと思っていたけれど、バランスの取れた身体作りも大切だと感じ、3年程前からボディーコンバットという格闘技系のエクササイズを始めてからすこぶる調子は良いです。

古典芸能の新しい形 「現代狂言」と「立合狂言会」

古典芸能の新しい形 「現代狂言」と「立合狂言会」

(左)狂言の舞台でアメリカ人の観客を相手に「笑い」のワークショップをやっている一幕

(右)『伯母ヶ酒』甥:野村万蔵(左) 伯母:河野佑紀(右)


 2006年から、芸人の南原清隆さんと、狂言とコントを融合させた「現代狂言」を立ち上げ創作と演出を手掛けています。

 もともと兄が、2002年に南原さんのバラエティー番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』で結成された「ウリナリ狂言部」で狂言を指導していたのを機に、現代狂言の上演の企画が進んでいたのですが、兄が亡くなったため、私が引き継いだのです。古典の技術を使いながら、現代のお笑いと音楽を交えたらどんなものが生まれるか。暗中模索のなかから創作された『現代狂言 ~狂言とコントが結婚したら~』も、今年で9年目。舞台は繰り返し続けるのではなく一度だけ。毎回血の入れ替えをしているような感じです。今年は2月に国立能楽堂で古典狂言2演目と新作狂言『ことだま交差点』を上演しました。スマホに依存し過ぎた現代の若者が、渋谷のスクランブル交差点で神様と出会い、言霊を通じて成長していくという内容ですが、良い作品でしたね。日常の一コマを切り取っていくのが狂言の醍醐味とするなら、そこから壮大なストーリーが広がっていくのは〝現代狂言〟ならでは。

 僕は古典芸能としての狂言も現代狂言もどちらも好きなんです。同じ題材でも、表から見るか裏から見るか。つまり表現の方向性が違うだけ。長い歴史を持つ狂言は、閉鎖的で制約の美があり、古典としてずっとその形式を守ってきたため、ほんの数十年前まで新作を作るなんてことはありえなかったんです。でも、古典も当時は新作なんですがね。狂言を継承する使命を担った兄と私ですが、やっていることは随分違っていました。兄は伝統にとらわれず、新しいことを作り出したり、海外に目を向けたりと開拓精神が旺盛。片や、私は真面目一辺倒で、師である祖父や父の言う通りにして、真似て少しずつ近付くことを目標にしていたので、若い頃から自分で創作したり、オリジナリティーを追求するなどやってはいけないと思っていました。ところが兄が体調を崩した頃「古いことを追求しているだけじゃダメ。たとえ非難されても新しいことをやらないと廃れてしまう。文化とは形を変えて心を伝えるものだよ」と言われたこともあって、考えが変わりました。今思い返せば、見る方向は違っていても、2人で支え合っていたような気がしますね。

 また、狂言の未来のために新しく立ち上げたのが「立合狂言会」です。コンセプトは、流派や家を超えて、次世代を担う狂言師を育成すること。600年以上の歴史があり、様々な流派を持つ狂言は、違う流派とは同じ舞台に立つことは非常に稀なのです。その垣根を超えようと、2014年1月に発足された立合狂言会の世話役として、大蔵流狂言師の茂山千三郎師と共に、企画・構成しました。今年の1月には東京と京都で公演を行いましたが、流派を超えた新しい古典芸能の礎ができるきっかけになったと思います。

 古典芸能に身を置く立場として、多くの先人や祖先がいたからこそできることに、常に感謝そして畏怖の念を持っています。

 能楽の世阿弥の『風姿花伝』にも書かれていますが、「住する所なきを、まず花と知るべし」。ある程度までいっても、そこに留まらず、変化することが芸術。そのためには専門外のことに目を向けることも大切です。ですからいつでも、柔軟性や好奇心、挑戦する気持ちは忘れてはいけないと思っています。

【注釈】

「茸(くさびら)」

 ある男の家に得体の知れない大きな茸が生えて、取っても一夜のうちに元のように生えて気味が悪いので、男は法力の強い山伏を訪ねて祈祷を頼みます。山伏は男の家へやってきて、おもむろに祈祷を始めますが、茸は消えるどころか、祈れば祈るほどどんどん数を増していき、動き回っては山伏や男にとりつき、いたずらをしたりします。疲れ果てた山伏が、最後の気力を振り絞って祈ると、鬼茸が襲いかかってきたので、山伏はたまらず逃げ出してしまいます。

「武悪(ぶあく)」

 不奉公者の武悪を討つよう主人に命令された太郎冠者は、やむなく同僚の武悪をだまし討ちにすることにしますが気づかれてしまいます。事情を知って覚悟を決めたものの嘆き悲しむ武悪を見て、冠者は太刀を振り下ろすことができず、武悪の命を助け遠くへ逃げるよう指示します。武悪を討ったという嘘の報告を聞いた主人は、太郎冠者を連れて都の東山へ出かけ、一方の武悪は、命が助かったのは清水寺の観世音のお蔭だからとお礼参りに向かいます。鳥辺野の辺りで両者が鉢合わせてしまい、冠者の入れ知恵で武悪は幽霊になりすまします。武悪の幽霊が出たと聞いた主人は急に怖気づきます。そこで武悪は、あの世で主人の父親に会い、息子から太刀や扇を受け取ってくるよう頼まれたと言い、太刀などを取り上げます。さらにあの世へ連れてくるようにと伝言されたと脅し、言い逃れしようと慌てふためく主人を追い込みます。


和泉流野村万蔵家九代目当主/野村万蔵氏

Manzo NomuraⅨ■1965年生まれ。野村萬の次男。父に師事。2005年、万蔵家の名跡九世野村万蔵を襲名し当主となる。一門の組織萬狂言を主宰。古典を正しく継承し、復曲新作など能楽の可能性追求にも取り組む。近年、狂言とコントを融合させた「現代狂言」の創作・演出や、英国コメディーの演出なども手掛ける。また狂言大蔵流と和泉流の若手研鑚と交流を図る「立合狂言会」を発足させ次代の能楽界発展に寄与する。東京藝術大学講師。桜美林大学講師。劇団青年座研究所講師。和泉流職分会代表幹事。重要無形文化財総合指定
【萬狂言公式HP】萬狂言公式サイト


2015年10月号掲載