特別インタビュー|歌手サンプラザ中野くん

特別インタビュー|歌手サンプラザ中野くん
©Taro Yoshida

1984年にメジャーデビューした爆風スランプのボーカリストとして数々のヒット曲を世に送り出してきたサンプラザ中野くん。代表曲には、「Runner」、「リゾ・ラバ」、「大きな玉ねぎの下で」などがある。1999年に爆風スランプが活動休止した後は、歌手としてはもちろん、作詞家、バラエティー番組への出演やラジオのパーソナリティー、各種雑誌連載や小説の執筆など多方面で才能を発揮し、幅広く活躍している。2015年にはデビュー30周年を記念して、お笑いコンビのバイきんぐの小峠英二さんと新ユニット「坊坊主」を結成。昨秋にはロサンゼルスで人生初のストリートライブも行ったサンプラザ中野くんにデビュー30年を振り返ってもらった。

LAで初のストリートライブ

LAで初のストリートライブ

昨年10月31日、Live in LA@Groundwork Coffee。Layla LaneのHedayがギター(右端)、Valerieがキーボード(左端)、30年来の友人、坂口かおるさんがベース(正面左)を担当。息ぴったりのメンバー陣

 一昨年9月にロサンゼルスに遊びに来た時に、こちらに住む友人が、サンタモニカのコーヒーショップで演奏していたLAで活動する2人組バンドLayla Lane(レイラ・レーン)のライブに連れて行ってくれました。その時にボーカル&ギターのヒデ君が、僕を見て「この歌の人に似ているよね」と言って、爆風スランプの「Runner」を演奏し始めました。バレたわけではないだろうけど、「じゃあ、俺が歌うよ」と飛び入りでパフォーマンスをしたんです。それがきっかけで2人と知り合い、「面白いから一緒に曲を作ろうよ」という流れになり、去年の夏にリリースした坊坊主のアルバム『励ます』に収録されている「DREAMER」が生まれたんです。それで、またロサンゼルスに遊びに来るから一緒にライブやろうよと盛り上がって、去年の10月31日、ハロウィンの日にLayla Laneと30年来の友人でベーシストの坂口かおるさんと一緒にサンタモニカでストリートライブが実現しました。

 デビューした頃はライブハウスが主流の時代だったので、日本でもストリートライブは1度もやったことがなく、生まれて初めての体験でした。「DREAMER」の他にも爆風スランプの楽曲「リゾ・ラバ」や「Runner」などアンコールを含めて5曲やりましたが、通りすがりの人や居合わせた人も聴いてくれて、すごく楽しかったです。またやりたいですね。

学生時代に奇天烈バンド結成

 1980年に早稲田大学に入学した当初は、音楽は好きだけど楽器ができないし、音楽をやる道筋がなかったので、自分は役者になるんだろうなとぼんやり思っていました。そんな折り、高校の同級生だったパッパラー河合君がスーパースランプというバンドに入ったというので見に行ったんです。カッコいいバンドだなあと思っていたら、次の日に電車の中でたまたまそのバンドのリーダーに会い、「うちのバンドのボーカルになってよ」と誘われたので、仲間に入れてもらいました。その3カ月後にヤマハ主催のイーストウエストというアマチュアバンドのコンテストがあって、その本戦に出場。音楽を始めてわずか3カ月で、いきなり中野サンプラザという大きなホールで歌ったので、「俺は天才だ!(笑)俺にはもう音楽しかない」と勘違いしちゃったんです。そのうち、勉強もしなくなり、めんどくさくて大学にも行かなくなっちゃいました。

 それからは喫茶店でバイトをしながら、パチンコや麻雀をやって、「俺はミュージシャンだから」と言いながら、週1日2時間しか練習もせず。今考えると若気の至りだと思うような生活をしていました。スーパースランプは奇天烈バンドだったから、コンサートには華が必要だということでコンテストの本戦に通されただけだったのに、それに気付かなかったんですね。

 1年後にまた同じコンテストにエントリーして再び本戦に出場しました。その時初めて頭を剃ってステージに立ち、さらに奇天烈度が増したことや、演奏も少しは頑張った甲斐もあって準優勝しました。その打ち上げで、自己紹介する順番が回ってきた時に、隣にいた女性に、「なんて言ったらウケますかね?」と聞いたら、「あなたの本名は中野で、今日やったホールが中野サンプラザだから、サンプラザ中野ですと言ったらウケると思うよ」と言われたのでその通りに言ったらウケたんです(笑)。そのまま、サンプラザ中野が芸名になりました。

爆風スランプ結成、84年デビュー

爆風スランプ結成、84年デビュー

 コンテストで準優勝したからといって、すぐにはデビューできなくて色々やっているうちに、グランプリだった爆風銃(バップガン)から誘われて、河合君と一緒にスーパースランプを抜けて1982年に爆風スランプを結成しました。スーパースランプは頭で考える部分が大きいバンドでしたが、逆にバップガンは身体にくるバンドであまり頭を使うバンドではありませんでした。絶妙なバランスで化学反応が良い方向に作用したのでしょう。それから2年半後、ソニーからレコードデビューすることが決まりました。

 デビューした1984年は、チェッカーズや松田聖子ちゃんが流行っていた時代。ちょうどBOOWYとかバンドが出始めた時期で、まだまだロックはぜんぜんお金にならない。「10万枚売れるなら売ってみろ」と言われるような時代でしたね。

 デビュー後はバブルだったこともあり、とにかく忙しかった。当時のアイドルは3カ月に1回シングル、年に1、2枚アルバムをリリース。それに加えてテレビや雑誌、映画にも出演していました。僕たちは映画こそ出演しなかったけど、他はアイドルと同じことを全部やっていました。ただしアイドルは自分たちで作詞・作曲はしないけど、僕たちは自分たちで作詞・作曲をやり、なおかつアイドルと同じタームでレコードもリリースしていました。まだ曲ができてもないのにタイトルだけ先にくれって言われてたようなアイドル全盛の時代、バンドブームの走りでしたね。

仲間を思い作った曲が大ヒット

 忙しいとお互いにストレスがたまり、バンドのメンバー間でギスギスすることも増えてきました。本格的なミュージシャンになりたい人とロックスターになりたい人と、段々と方向性がずれてきたんでしょうね。何のプレッシャーもなかった時はうまくいってたのに、周囲のプレッシャーがのしかかってくることで、お互いに不満がたまって衝突することも度々でした。メンバー間だけでなく、運営というか当時所属していた事務所サイドとのぶつかり合いもあり、徐々に軋轢ができてきたんです。それでベーシストの江川ほーじん君が辞めることに。それがきっかけで作った曲が1988年に大ヒットした「Runner」なんです。「君は辞めていくと言っているけど、皆でゴールに向かって走るよね」というドラマがあっての歌なんです。だから、あの歌は我々の中だけの私的なものだから、どうしてあんなに売れたのか未だにわかりません(笑)。

 この曲は、25年以上経った今も小学校では運動会で使われていますし、世代を超えて知られています。間違いなく日本で一番有名なロックソングであると自負しています。

 「Runner」がこんなに売れて広く知れ渡り有名になったので、ラジオ体操の代わりに「Runner」の曲に合わせて体操をしたらどうだろうかと、ふと思い付きました。それで、ランナー体操を考案したんです。それを広めようと学校や事業所で始業前にランナー体操をやりましょうと自ら呼びかけています。こちらのトヨタでは毎朝「Runner」が流れているらしい、との情報です。5年後には日本の全事業所でランナー体操をするようになると思いますよ。YouTubeで見られるので、ぜひ皆さんもチェックしてみてください。


歌手 サンプラザ中野くん

Sunplaza Nakanokun■1960年8月15日山梨県甲府生まれ。早稲田大学在学中の1980年に千葉県立東葛飾高等学校で同級生だったパッパラー河合が仲間と結成したバンド「スーパースランプ」にボーカルとして参加。同年、アマチュアバンドコンテスト「ヤマハ・イーストウェスト」に出場して高評価を得る。1982年に爆風銃(バップガン)から勧誘を受け、パッパラー河合と共にスーパースランプを脱退し、爆風スランプを結成。1984年にメジャーデビューを果たす。1999年に爆風スランプが活動を休止すると、パッパラー河合と共にかつてのバンド名を冠にした新ユニット「スーパースランプ」を結成。2015年にデビュー30周年を記念してバイきんぐの小峠英二とユニット「坊坊主」を結成し、昨年8月26日にアルバム『励ます』をリリース
【公式Twitter: @spnk】
【公式Web:spnk.jimdo.com/


文 = 千歳香奈子

デビュー30年で人生初のストリートライブを敢行〜その2〜へ


2016年1月号掲載