特別インタビュー|ピアニスト・作曲家 平原誠之氏

特別インタビュー|ピアニスト・作曲家 平原誠之氏


 阪神・淡路大震災の被災者であることから、2012年から2回にわたってロサンゼルスで東日本大震災チャリティーコンサートを開催した平原誠之さん。震災への想いや演奏・作曲活動について伺った。

阪神・淡路大震災ですべてを失う

 14歳の時に、阪神・淡路大震災を経験しました。幸い自宅はさほど大きな被害はありませんでしたが、被害の大きかった神戸の三宮で両親が営んでいた3軒の飲食店はどれも半壊し、取り壊しとなりました。当時は地震保険が普及していなかったので、すべて自費で建て直さなければならず、1年以上休業を余儀なくされました。かろうじて高校に進学はできたものの、家計が悪化してピアノのレッスンが続けられなくなり、高校も中退。追い打ちをかけるように家も失いました。阪神・淡路大震災ではたくさんの物を失いましたが、その後の人生において様々な出逢いに恵まれ、音楽家としての道が開けていきました。

 それから16年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生。何かの役に立ちたいと、積極的に日本各地でチャリティーコンサートを行うようになりました。復興支援活動のさなかにご縁があり、2012年にロサンゼルスでも東日本大震災チャリティーコンサートの話をいただき、主催する「Rainbow from LA」の趣旨に賛同し引き受けました。当地においても震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、心を込めて演奏を務めることができました。公演後、来場してくださった皆様の心に私の想いがしっかり届いたという反響をいただき、今後も続けていけるものならばという思いから、昨年3月に2度目のチャリティー公演が実現。梅の美しさや、東日本大震災の鎮魂の思いを込めたオリジナル曲『梅たたずむ思い』と阪神・淡路大震災に捧げる『いのちの尊さ』、亡くなった方々へのご冥福を祈って作ったレクイエム『犠牲者への鎮魂』などを、犠牲者の方々を想いながら心を込めて演奏させていただきました。

 常に新鮮な気持ちで、祈りを込めながら演奏しているので、その気持ちが皆様の心に共鳴し、魂にストレートに響くと言っていただけるのかもしれません。一人でも多くの方の力になっているのであれば、それが私に与えられた役目であり、ひいては世界平和にも通じていくと信じています。

子供の頃から作曲に熱中

子供の頃から作曲に熱中

鎮魂の思いや世界平和を祈りながら演奏する

 ピアノとの出会いは、4人兄弟の末っ子に生まれ、祖母が姉2人のためにピアノを購入してくれたのがきっかけで、8歳の時に習い始めました。ピアノを弾くようになってからは友達が家に遊びに来ると、お題と何分何秒と演奏時間まで決めてもらい、それに従って即興で演奏するのが当時の遊びで、その場で曲を作ることに無我夢中でした。ただ、子供時代は子供歌舞伎と演劇学校に所属して役者になりたいと思っていましたから、音楽とは無縁の家庭環境で育った私が、将来演奏家になるなんて思ってもみませんでした。

 音楽家を志したのは20代に入ってから、皮肉なことに震災がターニングポイントになりました。1999年に阪神・淡路大震災復興記念クラシックフェスティバル音楽コンクールの作曲部門に応募し、金賞を受賞。コンクールにはまったく興味がありませんでしたが、私自身が阪神・淡路大地震の被災者だったことから、応募に至りました。それが転機で19歳の時に上京し、ピアノ専門誌『月刊ショパン』の企画開発部に就職。サラリーマンとして働く傍ら、演奏活動を始め、様々なピアニストのコンサートで演奏を聴くなど、常に音楽環境に身を置くことでインスパイアされ、徐々に気持ちが固まっていきました。

 23歳の時に3年半務めた会社を辞め、音楽活動に専念することを決意。今はピアニストが天職だと思っていますが、当時は周囲の後押しもあって、この世界に飛び込んだというのが正直なところなので、もしタイムトラベルができたら、過去に戻ってピアノを買い与えてくれた亡き祖母に「ありがとう」と伝えたいです。

 演奏に関しては子供の頃に手ほどきを受けましたが、作曲はまったくの独学です。ピアノの前に座るとシャワーのように自然とメロディーが降って湧いてくるので、感情の塊が降ってきた後は冷静な気持ちを保ちながら、荒削りな部分を丸くしていく作業を丹念に行っています。曲の展開部分においては、いくつかのパターンが閃いた場合、心を無にしてベストだと感じる方向を選ぶように心掛けています。新鮮な気持ちと心の興奮を適度に維持しながらの作業はそのバランスが非常に難しいんです。

 また、大きなインパクトを受けたり感動した時に、曲が生まれるきっかけになることも。『梅たたずむ思い』という曲は、梅林公園や、東北に訪れた時に曲想が湧いてきたのと同時に、江戸絵画で知られる伊藤若冲の梅の絵に感銘を受けて完成した作品になります。また、シルク・ドゥ・ソレイユの舞台を観た時は、帰宅してすぐに感情のままに曲を作ったりもしました。日々の感動体験を通じて「喜びと感動」を共有できるようなメロディーを皆様の心に届けることが私の使命だと感じています。そして、ファンの方々から、「心の支えになっている」「人生観が変わった」という声を聞くたびに、「この道を選んで良かった」 という気持ちになります。

故本田美奈子.さんの歌声と共演

故本田美奈子.さんの歌声と共演

©NIPPON COLUMBIA

10年という時を超えて、新たな息吹をもたらした『AGAIN』(2015年11月4日発売)

 2005年に38歳の若さで、白血病で亡くなった歌手の本田美奈子.さんを育て上げた所属事務所の高杉社長から直々に「病床でボイスレコーダーに遺したアカペラの歌声にピアノ演奏を付ける」という大役を授かりました。アレンジと演奏を担当させていただいたアルバム『AGAIN』が、昨年11月に日本コロムビアからリリースされました。最初は一般的なピアノ伴奏譜のイメージで楽譜を書いていきましたが、いざ歌声と合わせてみると何かが違うんです。ご本人が目の前にいらっしゃらない上に病室でアカペラで歌っている歌声にピアノ伴奏をかぶせるには、無駄な音を消さなければいけない。最初に作ったものはすべて破棄して、美奈子.さんに寄り添うような気持ちで、限界まで音を削ぎ落とすという、とてつもない作業でした。その過程で美奈子.さんの「想い」を心で理解できた時からは、1日1曲のペースで曲が仕上がり、レコーディングでは美奈子.さんの存在を強く感じながら臨むことができました。

 特に『アメイジング・グレイス』を演奏した時のことは今でも忘れることができません。生前に美奈子.さんがこの曲を歌うのを聴いた印象は、とても透き通った声で素晴らしい歌声でした。今回この曲を演奏した際、スタジオの空気が一変し、美奈子.さんがまるでそばまで降りて来て、優しく見守ってくれているような雰囲気に包まれ、とめどなく涙が溢れて止まらなくなりました。まるで「私、ここに居るよ」と、語りかけてくれているかのようでした。

 10年という歳月を経て、新たな息吹をもたらした『AGAIN』は、皆様の心に美奈子.さんが優しく語りかける、いつまでも心に残る温かな仕上がりになったのではないでしょうか。

日本・エルサルバドル音楽親善大使に就任

日本・エルサルバドル音楽親善大使に就任

(左)エルサルバドルの国営放送でのインタビューの様子

(右)2015年、日本・エルサルバドル音楽親善大使としてエルサルバドルを訪問


 2010年に英国エディンバラで開催された日本総領事館、ポーランド総領事館、エディンバラ大学の三者共催の「ショパン生誕200周年記念コンサート」に招聘され、翌年もエディンバラ、グラスゴー、ゲーツヘッドで演奏をしました。当時の在エディンバラ日本国総領事であった田良原さんがその後、エルサルバドルの特命全権大使に就任。そのご縁から2014年に日本・エルサルバドル音楽親善大使に任命されました。エルサルバドルでもぜひ公演をしてほしいというお話があり、昨年3月には「日本・エルサルバドル外交関係樹立80周年」に合わせて、現地で2公演させていただくことになりました。計2000人以上の観客にご来場いただき、公演の様子とインタビューを収録した特別番組が国営放送のゴールデンタイムに全国放送されるなど、大変好評を博したことは私にとって大きな喜びと自信になりました。

 帰国後、駐日エルサルバドル共和国大使館に訪れ、特命全権大使マルタ・セラヤンディア閣下を表敬訪問した際には、今回のイベントがきっかけで「内戦前の芸術性豊かで才能ある若者で溢れていた時代を再び取り戻せそう」とおっしゃっていました。そして具体的に「ピアノをたくさん送り込みましょう」「調律師を育てていきましょう」という話も挙がりました。もしピアノが運び込まれたら、エルサルバドルの子供たちに音楽を教え、生の演奏を直に届ける活動をしていきたい。親善大使として今後も日本とエルサルバドルの国際親善、相互理解の貢献に力を尽くしていきたいです。

 昨年11月、駐日大使との約束を果たすべく、エルサルバドルへの音楽教育支援のため、「日本・エルサルバドル外交関係樹立80周年記念チャリティーコンサート」を東京で開催しました。コンサートには、初の外国公式訪問としてエルサルバドルとホンジュラスを歴訪される秋篠宮眞子内親王殿下が鑑賞され、こちらも感慨無量のコンサートとなりました。

2度のロサンゼルス公演

 年末にロサンゼルスでチャリティー公演以外では初となるジョイントコンサートを行いました。昨年3月にトーランスで行ったチャリティーコンサートを観に来てくださったロサンゼルス在住のフルート奏者、谷則安さんから、「ぜひ一緒に演奏したい」とオファーをいただき、タイミングよく12月に演奏をするため渡米が決まっていたので、それに合わせて開催する運びになりました。ソロ演奏の後に、谷さんと『梅たたずむ思い』や『アメイジング・グレイス』などで共演。

 ロサンゼルスで過去3度公演を行っていますが、日本以上に反響が大きいと肌で感じます。アメリカの聴衆は感情表現がストレートなので、演奏者にとって非常に嬉しいことですね。海外で演奏することで、音楽の視野も広がりますので、今後も積極的に多方面で公演を行っていきたいです。

アカデミー賞とグラミー賞が夢

アカデミー賞とグラミー賞が夢

エルサルバドルでは鮮やかな金色の袴を履いて演奏した


 創作活動と並行して年間40~50回の公演活動に精力的に取り組んでいます。創作活動中は控えていますが、普段はリラックスするためにお酒を嗜んだり、プライベートでは美味しい物を食べながら、ワインを飲むのが楽しみですね。また、健康のために良質な食事を取ることに気をつけており、「男の料理」と題して、自炊に凝っています。

 昨年は音楽家として飛躍の年となり、例年にも増して中身の濃い一年を過ごしました。今年も今まで以上に大きな作曲の仕事もいただき、コンサート活動も既に11月までコンスタントに入っているので、さらに充実した一年になりそうです。これまでは演奏活動が中心の生活でしたが、今後は今まで以上に作曲活動に力を注いでいきます。ジャンルを超えた様々な分野で演奏するのが私のスタイルなので、世代を超えた幅広い層の皆様に喜んでもらえるコンサートをこれからも続けていきたいです。そして、アカデミー作曲賞とグラミー賞のダブル受賞を果たす夢に向かってチャレンジしていきたいと思います。

 今年は東日本大震災から5周年と言う節目の年を迎えますので、ロサンゼルスで3度目となるチャリティーコンサートを開催します。再びロサンゼルスの皆様にお会いできますこと、演奏を聴いていただけますことを心より楽しみにしております。

アルバム情報

<strong>アルバム情報</strong><br>

(左)『くまたんの夢』 (右)『エルサルバドルの風』

価格:各3,000円(税別)
コンサート会場でご購入いただけます。
『くまたんの夢』はiTunes、レコチョク、music.jp でも好評配信中!


ピアニスト・作曲家 平原誠之氏

Masayuki Hirahara■1980年7月15日兵庫県神戸市生まれ。8歳よりピアノを始め、基本的な手ほどきを受けた後、演奏・作曲を独学。99年に阪神・淡路大震災復興記念クラシックフェスティバル音楽コンクール作曲部門に参加し、財団法人兵庫県芸術文化協会賞並びに金賞を受賞。2003年より本格的に演奏活動を開始。10年エディンバラにて行われたショパン生誕200周年記念ソロ・コンサートに日本代表として招聘され、エディンバラ日本国総領事より「在外公館長表彰」を授与される。12年に式年遷宮記念「せんぐう館」奉祝記念行事で伊勢神宮創建以来初となるピアノ演奏を披露。同年、ロサンゼルスで東日本大震災1周年記念チャリティーコンサートを行う。14年、日本・エルサルバドル音楽親善大使に任命され、翌年にはエルサルバドルで行われた外交関係樹立80周年記念コンサートで演奏を行う。15年11月、故本田美奈子.が病床で遺した歌声にピアノ伴奏・編曲を施したアルバム『AGAIN』がリリース
【オフィシャルサイト】masayuki-hirahara.com
【オフィシャルブログ】masayuki-hirahara.tumblr.com


2016年02月号掲載