オリーブの歴史

オリーブの歴史

オンタリオの中心、Euclid通りにあるMuseum of History & Art, Ontario。
入場は無料で、ここに来れば、オンタリオの歴史が全てわかる


 カリフォルニアの名産と言えばワインが有名だが、実はアメリカ国内で生産される99%のオリーブが、ここカリフォル二アで作られていることをご存知だろうか。カリフォルニアのオリーブの歴史は、18世紀にスペイン人がメキシコを征服し、カリフォルニアにやって来たミッショナリーと深い関わりがある。その歴史を紐解きながら、美味しいオリーブを求めて散策の旅へ出かけよう。

 オリーブの起源は明らかにされていないが、6千〜7千年以上前に、既に地中海沿岸に生息していたとされていて、紀元前3500年頃から始まった青銅器時代に記録が残っている。古代ギリシャはオリーブの貿易で栄え、オリーブの木は平和のシンボルとして神話や聖書などにも度々登場する。オリーブは、古くから人々の生活のそばにあったのだ。

オリーブとカリフォルニア・ミッション

オリーブとカリフォルニア・ミッション

(上段左)かつてオンタリオを仕切っていたサンゲーブリエル・ミッションにも、オリーブの木がたくさん植えられていた

(上段右)広大なオリーブ畑。オリーブの木は、家で植える時も2本以上隣接して植えた方が育ちが良いと言われている

(下段左)ヨーロッパの市場では、たくさんの種類のオリーブが、量り売りで売られている

(下段真ん中)カリフォルニア産フレッシュオリーブ

(下段右)地中海性気候のスペインのアルハンブラ宮殿の周辺にもたくさんのオリーブ畑がある


 カリフォルニアにオリーブがもたらされたのは1769年のこと。メキシコから入植してきたスペイン人が、ミッション建設の際にオリーブとブドウの木を持ち込んだのが始まり。ミッションとは、キリスト教の伝道所のことで、サンディエゴからサンフランシスコに21カ所ある。1769年に建設されたミッション・サンディエゴを皮切りに、1700年代後半から1800年代前半にかけて、数人の宣教師たちの手で建設された。宣教師たちは、当時カリフォルニアに暮らしていた多くのネイティブアメリカンたちに、キリスト教を広めていったのだ。ミッションを中心に街が作られ、農場が作られ、そこに人々が集まった。次第にミッションは、当時の人々にとって大切な場所となっていった。

 そこに植えられたのが、オリーブとワインを造るためのブドウの木だった。オリーブとブドウの木は、ミッションの建設と共にカリフォルニア全土に広がっていった。そのため、今でもアメリカのワインの90%以上、そしてオリーブに関して言えば99%がカリフォルニアで作られている。ミッションで作られたオリーブは当時、「ミッションオリーブ」と呼ばれていた。このことから今でも日本では、アメリカ原産のオリーブの品種を「ミッション」と呼んでいる。

 このようにオリーブの栽培が今でも盛んなカリフォルニアだが、とても美味しいオリーブを食べられる場所があると聞いて、その地、オンタリオに出向いてみた。

 ロサンゼルスから10FWYを東に約1時間ドライブすると、住宅地のなかにひっそりと佇むオリーブ園がある。1894年創業の「グラバー・オリーブ・ハウス」だ。

グラバー・オリーブに来たら立ち寄りたい!

グラバー・オリーブに来たら立ち寄りたい!
Graber Olive House Museum

グラバー・オリーブの工場の入り口にあるミュージアム。グラバー・オリーブの歴史がわかる写真と、昔使われていた農機や農具等が展示されている

住所:315 E. Fourth St., Ontario
時間: 9:00am〜5:30pm(月〜土)
    9:30am〜6:00pm(日)
料金:無料

オンタリオの歴史

オンタリオの歴史

(左)1800年代終わりのオンタリオ。細かな区画に分けられ、すべてに灌漑設備が整っていた

(右)オリーブ農園で働く人々。この時代、農業がオンタリオの中心産業だった


 サンゲーブリエル・ミッションが設立される前、このエリアには、ネイティブアメリカンのなかでもミッション・インディアンと呼ばれるトングヴァ族の人々が住んでいた。彼らは18世紀にやって来たスペイン人に強制的にキリスト教に改宗させられ、農業の労務や他のインディアン民族の監視役を強いられた。ロサンゼルスの広範囲にわたって定住していたが、現在では、ほとんどいなくなってしまったと言われている。

 1821年、メキシコがスペインから独立。メキシコ政府は、それまでミッションが持っていた土地を個人に販売し始めた。ゴールドラッシュの少し前のこの時代、人々は、新しい土地を目指して、徐々にカリフォルニアに集まり始めていた。ミッションが管理していた土地は、そういった人々の手に渡ったのだ。

 1881年、カナダのオンタリオ州からやってきたジョージ&ウィリアムズ・チャッフィー兄弟が、オンタリオ周辺の土地を購入。ここから、オンタリオの農業の歴史が本格的に始動する。

 ジョージは元エンジニア。このエリアの土地の豊かさに目をつけ、農業を発展させるべく、足りない水を山から引っ張ってきて灌漑施設を整備した。彼らは、このエリアを、「エティワンダ」と名付け、町は発展していった。その成功を受けて、1882年に現在のオンタリオ、アップランド(当時のノースオンタリオ)、ランチョクカモンガ周辺を追加購入し、自分たちのホームランドと同じ「オンタリオ」と名付けた。

 チャッフィー兄弟が経営するチャッフィーズ・オンタリオ・ランド・カンパニーは、土地を小さく区切り、水利権と共に分譲。その際、すべての土地にパイプラインを敷き、平等に水が行き渡るように工夫した。また、すべての土地に簡単にアクセスできるように道路を作った。オンタリオの農地は碁盤の目のように区切られ、それぞれの区画にオリーブやシトラス、ブドウなどが栽培されていたのだ。そして、オンタリオは農業のモデルコロニーとして発達した。さらに彼らは、人々が農業についてもっと学べるようにとチャッフィーカレッジを設立した。

 オンタリオコロニーの話は、瞬く間に世界中に知れ渡った。1886年、チャッフィー兄弟は、オーストラリアのビクトリア州から、「オンタリオと同じシステムを作ってほしい」というオファーを受け、会社をロサンゼルスの投資グループに売却、オーストラリアに移住した。しかし、今でも彼らの名前の付いた高校や大学などの施設が、オンタリオを中心としたこのエリアにたくさんある。また当時、柑橘類農家も多く、今も通りの名前にその名残りがある。そして、1891年、オンタリオは市政を敷き、新しいスタートを切った。

グラバー・オリーブ・ハウスの始まり

グラバー・オリーブ・ハウスの始まり

グラバー・オリーブ入り口。オンタリオの住宅地にあるため、しっかり見ていないと見逃しそう

 オンタリオが市になってすぐ、C・C・グラバーがこの地に移住。現グラバー・オリーブ・ハウスの場所に土地を購入した。最初に彼はオンタリオの岩の多い土壌を生かしてシトラスを育てようと思っていたが、近くの人が育てたオリーブをもらい、その味がとても気に入ったのでオリーブの栽培を開始した。そして、1894年にグラバー・オリーブ・ハウスを設立。ここは、現在、アメリカで最も古いオリーブ園として知られている。

 自宅のある数ブロック東でオリーブ栽培を始めたが、ビジネスが大きくなるにつれ、土地が足りなくなってしまい現在は、フレズノの近くトゥーレアカウンティ、サンホワキンバレーでオリーブを栽培している。そのオリーブ畑の敷地面積は185エーカー。ここでは、毎年150トンものオリーブが収穫される。


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文 = 芦刈いづみ
写真 = Tak S. Itomi
参考資料 = Early Ontario
San Diego Olives: Origins of a California Industry

2015年12月号掲載