日本人は無宗教!? 宗教との関わり合いとは

 ある夏、友人の日本人家族が「英語が上手になるだろう」と何気なく娘さんをある教会のサマーキャンプに参加させました。帰宅して開口一番、娘さんはこう言ったそうです。「お母さんは私の本当のお母さんじゃないんだってね。私は神様から生まれたんだってね」。この母親が驚いたのは言うまでもありません。

 日本では多くの方が、生まれて神社にお宮参り、結婚式はチャペル、最期は仏式のお葬式という人生を送っています。こうした宗教との関わり合いは西洋では考えられないものでしょう。実際、「あなたの宗教は?」と尋ねられると「無宗教」と答える日本人は多いようです。「お墓のある寺の宗派も知らないし、墓があるからって特に仏教徒ってわけじゃないし、ここは当たり障りなく…」というところだと思います。しかし「無宗教」なら、どうして元旦にあれだけの人々が全国の神社仏閣に参拝するのでしょう?皆、手を合わせて何かを祈り、願っています。これこそ宗教行為です。言葉通り無宗教なら、自分で見て聞いて触って考えて理解できないものは一切信じないという、いわゆる唯物論者ですが、初詣だけとっても日本人がそうでないことは明白です。「なぜいつもお辞儀するの?なぜ『いただきます』と言うの?なぜ食事を残しちゃいけないの?なぜ玄関口で人を最後まで見送るの?」。そして「なぜ死んだ人のために何年も法事をするの?」。日本の慣習には、アメリカに住む人々やアメリカで教育を受ける子供たちに説明し難い現象ばかり見られるのでは?

 しかし冒頭の例のように、既に子供たちはアメリカ社会に入り、その文化・伝統に直に触れています。学校で日々「忠誠の誓い」を暗誦し、「GODの下の国家」という言葉を発声し、その価値観に基づき学校生活を送っています。子供たちは、家庭で親に言われることと、学校や社会で見聞きする現実との違いを少なからず感じているのでは?日本で生まれ育った私がそうした子供たちの葛藤を理解することは大変ですが、子供たちや後進の若者が将来ここアメリカで、日本で、民族的に日系であることを誇りに、強く生きる土台となりたいと願っています。そのためにはまず、日米双方の価値観をよく理解し、そうした価値観の根底にある宗教について知る必要があると思います。

 西洋の一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)は皆、創造主を仰ぐ教えで、人間もGODの被創造物とされます。アメリカのすべてのお金に「In God We Trust(われ神を信ず)」の刻印があるように、アメリカはまさにこの一神教の価値観による国家と言えるでしょう。神と聞くとつい「八百万の神」とか「海の神、山の神」など日本語の神様観と混同してしまい、なかなか「創造主」という概念は理解しづらいものです。

 言語を見てみると、英語の私(I)はGODの造った独立した個人ですから、誰と話していても主語の表現は一切変わりません。老若男女誰でも、誰に対しても自分のことを常にIと言います。日本語ではどうでしょう?例えば、子供に対しては「お父さんは、お母さんは」、生徒に対しては「先生は」、上司や目上の人には「私は」、友達には「オレは、アタシは」等、話し相手や状況により主語の表現は常に変わります。英語と異なり、日本語では主語たる自分よりも相手との関係性が重視されていることがわかります(日本人が「丁寧に」と考えるあまりスラスラ英語を話しにくい原因もこの辺にありそうです)。英語では人間一人、すなわち個人は「I」、GODのもと独立した個人ですから、線が一本で成り立っています。日本語では人間一人は文字通り「人」、線が二本で成り立っています。次回、この辺りから日本における仏教的な人間観について思うところを記していきます。

浄土宗本院主任 田中孝道

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2016年7月号掲載