Florence Foster Jenkins

Florence Foster Jenkins
©Paramount Pictures

キャスト: メリル・ストリープ、ヒュー・グラント他
監督: スティーヴン・フリアーズ
上映時間: 110分
Rating: PG13(MPAA)
公開日:2016年8月12日全米ロードショー
配給会社: Paramount Pictures

〝史上最悪のオペラ歌手〟として人気を博した女性の愛溢れるコメディー

〝史上最悪のオペラ歌手〟として人気を博した女性の愛溢れるコメディー
©Paramount Pictures


 『Florence Foster Jenkins』は、暗いニュースばかりの今年の夏を明るい光で包んでくれる、最高に楽しい映画だ。

 コメディーなのに悲哀が滲み出る。笑いながら心のどこかで悲しさを感じてしまう。主人公フローレンス・フォスター・ジェンキンス(メリル・ストリープ)の音楽への類まれなる情熱や、その情熱を育むために無条件の愛でフローレンスを助ける夫、セント・クレア・ベイフィールド(ヒュー・グラント)の感動的なコメディーでもある。この2人の関係がメリル・ストリープとヒュー・グラントの完璧な役作りによって、それはそれは愉快で素晴らしいものになっている。

 ここ数年、半分引退している状態と言えるほど小さな役ばかりだったグラントが久しぶりに主役級で登場するのだが、今まで温存してきたエネルギーとやる気が画面で弾けているかの様で見応え十分。「この映画ほど出演を即刻決めた役は今までになかった」と告白するグラント。脚本が届いて3日で決めたとか。「この映画の出演を記録的短時間で決めた大きな理由は、メリル(・ストリープ)と共演できること」と付け足し、「彼女と共演できることに興奮しながら、怖くて怖くて今でもあの時の震えを思い出す」と笑っていた。56歳になり英国風チャームにさらに磨きがかかった彼の本領発揮という感じで、今まで見たことがないヒュー・グラントを披露している。50歳を過ぎてから4人の子供(4人とも皆、彼の実子)の父親になった彼だが、今回のインタビューで「父親になってなかったら、この役はできなかった」と言う。それは「セント・クレアのフローレンスに対する愛は無条件で、ちょうど子供に対する親の愛に似ているから」と説明する。金持ちの女性に囲われた形で存在したセント・クレアという人物に関してグラントは1年もかけて詳しいリサーチをしたそうだ。「彼は周りの目からは、金持ちの女性に取り入った調子の良い男に見えるし、実際彼女の財力、社交界との関係がなかったら、彼はただのイギリスの売れない俳優だったことは確かだ。彼の日記が図書館に保存されていて、それを読んだんだ。自分が演じたキャラクターを滅多に好きにならない僕だけど、セント・クレアのことは、いいヤツだなあと好きになってしまった」と教えてくれた。

裕福な家庭に育ちながらも、波乱の人生を歩んだジェンキンス

裕福な家庭に育ちながらも、波乱の人生を歩んだジェンキンス
©Paramount Pictures


 フローレンス・フォスター・ジェンキンスは、1868年生まれの実在の女性で、戦争が世界中に暗い影を落としていた1940年代のマンハッタンで〝史上最悪のオペラ歌手〟と呼ばれて社交界の人気者だった。〝オペラ歌手〟と思っていたのは本人だけで、彼女の歌の音程の不確かさは信じ難く、高音に至っては耳を塞ぎたくなるくらいの金切り声を出したり、〝外れる〟ので知られていた。この役になり切って名演した(またもやオスカー候補?)ストリープは、役作りから学んだこととして「フローレンスの音楽に対する情熱こそが周囲の人々を魅了し、どんなに酷くても彼女の歌を楽しんだ理由だと思う」と言っている。フローレンスが歌うシーンは、ほとんどストリープ本人が歌っている。元々歌うことが大好きでミュージカル女優を目指していた彼女にとって、オペラを歌うトレーニングを受けながらのこの役作りは楽しくて仕方がなかったはず。役作りのアプローチのコアな部分は「音痴で酷いオペラ歌手としてフローレンスを演じるのではなく、もうちょっとで完璧な音程に達することができたオペラ歌手として演じた」と言う。確かに下手くそな歌手として演じるより、もうちょっとで完璧になれた歌手として演じる方が、役柄が華やかになる。

 資産家の彼女は、ヴェルディ・クラブというオペラクラブを自分で創立し、自分で自分が歌う場を作り出していた。フローレンス自身が観客を選び、自分が来てほしいと思う人たちだけを招待していたので、招待客たちは彼女の〝歌手事情〟を知っていたし、批判する人もいなかった。多分、彼らはフローレンスの歌を聴きに来るというよりは、その気になって歌いまくる彼女の性格の良さと、超真面目にオペラのアリアに取り組む才能不足の滑稽なパフォーマンスを楽しみに来ていたのだろう。本物のオペラ歌手が歌うレコードを聴きながら、自分もそんなふうに歌っていると信じている彼女を裏で笑っていた人たちがいたのも確かだ。自分の裏庭のようなヴェルディ・クラブで歌っている分には何も問題はなかったのだが、長年の夢だったカーネギーホールでコンサートを開きたいというアイデアが、彼女の周辺をざわつかせる。まず最悪な批評は避けられないだろう。それを避け続けていたフローレンスなのだ。カーネギーホール側が、世界一流のアーティストが集まるコンサートホールに音痴な歌手が登場されては困ると渋る気持ちも理解できる。お金は夢を叶えるヘルプをしてくれるが、時には夢を破壊することに繋がる時もあるということだ。

 彼女は76歳で他界したが、裕福な家庭の相続人として一生を楽に送ってきたわけではなく、親が決めた結婚をするのが嫌で家を出て、ピアノの先生をしながら何年間も自活していた時もあった。セント・クレアとの前に1回結婚していて、その時相手の男に梅毒をうつされてしまったため、愛するセント・クレアとは夫婦として結ばれたことがなかったと、映画で語られている。2人は正式に籍を入れていなかったことから、彼女が死んだ時に、それまで挨拶にも来なかった親戚たちが登場して遺書を書き換え、セント・クレアをただのゴールドディガーと軽蔑して遺書から外してしまったそうだ。最終的にはセント・クレアが彼らを訴え、少々の遺産はもらったようだ。


中島由紀子

Yukiko Nakajima■ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト。ハリウッド外国人記者クラブのメンバーとして、20年以上に渡り、世界中でスターの取材を続けている。ゴールデン・グローブ賞への投票権を持つ、3人の日本人のうちの1人


2016年08月号掲載