夏のスペシャル・インタビュー|ピアニスト
フジコ・ヘミングさん

夏のスペシャル・インタビュー|ピアニスト  </br>フジコ・ヘミングさん

撮影:Gene Shibuya


 ヨーロッパと日本を拠点に、精力的にコンサート活動を行っているフジコ・ヘミングさん。3月にロサンゼルスで開催された「東日本大震災チャリティーコンサート」は、わずか2週間で完売。変わらぬ人気を見せつけた。木漏れ日が差し込むロサンゼルスの自宅で、近況を伺った。

4年振りのLAコンサートに感動 道を開いてくれた人との出会い

4年振りのLAコンサートに感動 道を開いてくれた人との出会い


 ロサンゼルスでのコンサートは、実に4年振り。ラヴェル『亡き王女のためのパバーヌ』やショパン『序奏と華麗なるポロネーズ』、そしてリストの『ラ・カンパネラ』などを演奏したのだけれど、今回は初の試みとして、チェリストのマレック・シュパキエヴィッチさんと、ピアノとチェロの二重奏をお披露目。彼はヨーヨー・マお墨付きの腕前で、紳士然とした方。何度もリハーサルに臨んだお蔭で、息の合った演奏に盛大なスタンディングオベーションで幕を閉じることができたの。

 今回のコンサートは、在ロサンゼルス日本国総領事館とポーランド共和国領事館後援による東日本大震災5周年チャリティーイベントの一環として開催。ロサンゼルス在住の日本人やアメリカ人を始め、日本、ポーランド、ドイツ、ベルギー、ボリビア、ペルーなど、各国の在ロサンゼルス総領事や首席領事など、本当にたくさんの方に足を運んでいただき嬉しかったですね。

 5歳でピアノを始めた私は、父の友人でユダヤ系ロシア人のピアニストに師事。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)在学中は、第22回NHK毎日コンクールに入賞したこともあるけれど、決して順風満帆とはいかなかった。無国籍ということで理不尽な扱いをされたことは数え切れないほどあったし、批評家に叩かれるなんて日常茶飯事だったわ。40歳を過ぎるまでチャンスもなかったから、私みたいな人間は舞台でピアノを弾くなんて到底無理なんだと、自己評価まで自ら下げてしまった時代もあった。同時に、他人の演奏を聴く機会が増えれば増えるほど、女優の故・森光子さんが読んだ川柳「あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ」に自分を重ねて不満を抱え、能力や実力よりも金や権力が強いこの世界にうんざりしてたわね。

 有名な音楽家であっても、人間性が良いとは限らないの。むしろ気が弱くて高圧的な人が多いわね。画家で言えば、ピカソのように自分だけが天才でありたいというタイプ。彼はモディリアーニが食べ物を買えないほど貧乏でも、絶対にお金を貸さなかった。お金が惜しいんじゃなくて、彼の才能を恐れて潰したかったからよ。

 世界的に有名な指揮者やピアニストに、鼻で笑われ軽くあしらわれたことも1度や2度じゃない。でもね、私を不幸のどん底に突き落としたのも「人」なら、光や希望をくれたのも「人」だった。アルゼンチン人ピアニストのブルーノ・ゲルバーのコンサートがドイツで行われた時に、彼が弾いたショパンのピアノ協奏曲があまりにも素晴らしいので、楽屋に行って挨拶をしたの。私もショパンは弾くけど、多くの聴衆の前で弾くチャンスは来ないわと言ったら、彼が私をじっと見て「君はこれから成功する顔をしてるよ」と言ってくれてすっごく嬉しかった。まさかその数年後に彼の予言が当たるとは、その時は露ほども思わなかったけどね。

一夜にして人生を変えた伝説のドキュメンタリー番組

 私の人生を大きく変えたNHKのドキュメント番組『フジコ〜あるピアニストの軌跡』が放送されたのは1999年2月。母が亡くなり、95年に日本に戻ってからは、母校の東京音楽学校でコンサートしたり、友人の紹介で聖路加病院のチャペルで週に1度ボランティアで弾いてたの。

 どんな経路でNHKに話が行ったのか定かではないのだけど、撮影が決まり、ディレクターやカメラマン、照明さんたちが下北沢の自宅に来るようになったのよ。彼らは丸1日いるもんだから放っておけず、お茶やコーヒーを出したり、夜は夜で近くの屋台でご馳走してたら貯金通帳の残高が6000円になったこともあったわね(笑)。

 撮影は2週間ほどで終了。ところが番組の構成を聞いたら「昔はそこそこ有名でヨーロッパで活動してたけれど、今は猫と一緒に余生を送る可哀想なおばあさん」みたいになっているって知って大激怒したの。現役のピアニストとしてコンサート会場も満席になっているその映像もしっかり撮影してるのに全部カットしてるっていうじゃない。私は腹に据えかねて、いよいよ明日放送されるという日に、NHKに「真実を伝えなければ、首を吊って死にます」っていう電報を打ったの(笑)。もしかして、本当に首吊りを実行されたら困ると思ったのか、私の言い分を認めて放送してくれたわ。番組が放送されたのは夜中近かったし、スタッフもまったく期待してなかったようだけど、番組終了後に視聴者から問い合わせの電話がじゃんじゃん鳴って驚いたみたい。

 放送後は色んな人に声をかけられるようになったけど、当時毎日会っていた屋台のオバサンに「番組観たよ。アタシはピアニストなんて大嫌いだったけど、あんたはいいね」って言われて嬉しかったわね。ちなみに、一体誰が私の情報をNHKに話したのかは未だにはっきりしないのだけれど、私は密かに聖路加病院名誉院長の日野原重明先生ではないかと思ってるの。日野原先生のご次男がNHKのプロデューサーだったそうですしね。でも本当のところはわからない。だって「私が言ったのよ」「俺が言った!」と恩を着せようとする有象無象の輩が、今でもいっぱいいるのよ(笑)。

スランプを乗り越え熟成期へ支え合い信頼関係を構築

スランプを乗り越え熟成期へ支え合い信頼関係を構築

撮影:Gene Shibuya

 番組放送後、私の生活は一変。その後コンサートの依頼が殺到し、あまりにもハードスケジュールで自分のペースがつかめず失敗ばかりして、長らくスランプ状態に陥ってしまった。どうやったら夜ぐっすり眠れて最高のコンディションでピアノが弾けるようになるかが、どうしてもわからない。酷い時には睡眠薬に頼っても全然眠れない。なのに翌朝7時には起きて準備をして、午後のコンサートに備えなきゃいけないんですよ。10年ぐらいかけてようやく身体の声がわかるようになったの。まずお酒、お茶、それから唐辛子などの刺激物は眠れなくなるからNG。それからビタミン剤よりも、野菜をかじってる方が断然体調が良好。一番良いのは、コンサートの前日は快適なベッドの上で一日中寝っ転がっているに限る。人にも会わず一人でこもっているのがベストね。

 演奏する際に最も大切にしているのは、何も考えずにひたすら次の音を探っていくこと。基本的に楽譜なしで演奏することが多いので、ぼやっとしてたら止まっちゃう。一人で練習してる時は、つい雑念が入っていつの間にか手が止まったり、どこまで弾いたかさえわからなくなってしまうこともあるの。

 もちろん舞台では常に気を張ってるけど、それでも失敗してしまうこともあるわ。今年2月のモスクワ国立交響楽団と共演した東京でのコンサートで、ずっと調子良く進んでいたのに、最後の最後になって最初のフレーズを弾いてしまう大失態をやらかしてしまったの。私一人だったら何とかなるけれど、100人以上のオーケストラが一緒なんだもの。すぐに気づいて戻ったけれど、もうダメだ。これはオーケストラは付いて来れないだろうと。ところがさすが世界最高峰の楽団だけある。寸分の狂いもなくきちんと私に合わせて付いて来たのだからスゴイ!と思った。終わった後は恥ずかしくてみんなに合わせる顔もなかったけれど、指揮者も素晴らしい人で、観客の前で「ブラボー!」って褒めてくれたのよ。人間は完璧じゃない。互いに支え合うことで、さらに信頼関係が深まっていくのだと実感した一件だったわね。モスクワ国立交響楽団とは、また共演させてもらえるといいな。


ピアニスト フジコ・ヘミングさん

Ingrid Fuzjko Hemming■ロシア系スウェーデン人画家・建築家の父と日本人ピアニストの母の間にベルリンで誕生。東京芸術大学卒業後、本格的な演奏活動を開始。その後ドイツへ留学し、ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業する。今世紀最大の作曲家・指揮者ブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約するも、リサイタル直前に風邪をこじらせ聴力を失う。その後はストックホルムに移住し、耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら欧州各地で演奏していた。1995年帰国。99年にNHKのドキュメント番組『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が大反響を巻き起こす。同年、ファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚以上を超える売り上げを記録。日本ゴールドディスク大賞/クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーなど数々の賞を受賞。また近年では東日本大震災復興支援および被災動物支援のためのチャリティーコンサートも精力的に開催している。
【オフィシャルサイト】http://fuzjko.net/


自分の能力や価値を見極めることで必ず道は開けるはず〜その2〜へ


2016年06月号掲載