夏の特別インタビュー|女優
福原かれんさん

夏の特別インタビュー|女優  </br>福原かれんさん

撮影:Gene Shibuya


 今夏公開されるDCコミックスが刊行する同名の漫画シリーズをハリウッドで実写化した『スーサイド・スクワッド』で、日本人暗殺者のカタナこと山城たつ役に抜擢されたのは、ロサンゼルス生まれの女優福原かれん。日の丸を施したマスク姿で日本刀を振りまわす強烈なキャラクターでアクションにも挑戦し、華やかにハリウッドデビューを飾った福原さんに大役を掴むまでの道程を伺った。

幼少時は英語が話せず人見知り

 私はロサンゼルスで生まれましたが、父は東京の目黒出身です。私が幼い頃はこちらで旅行会社を経営していましたが、今は日系の運輸会社に勤めています。両親共に英語があまり得意ではなく、家庭での会話はすべて日本語。友達も日本人で、家で観るテレビやビデオも日本語ばかりという環境が当たり前で育ちました。それが幼稚園からいきなり現地校にポンッと入れられ、お腹が痛くても英語で伝えられないというもどかしさを経験し、幼稚園に行きたくないあまり、うなされて朝起きるのが嫌だったことを今でも覚えています(笑)。日本文化と日本語環境のなかで育ったせいか、幼い頃はすごく人見知りでシャイな性格。幼稚園の頃はたくさんの人が集まる誕生日会に行くと、母から離れたがらない子供でしたね。

 小学校に上がってからは家では常に日本語、外では英語という環境にも慣れてきましたが、親の影響もあって日本の歌番組やテレビドラマが大好きな子供でした。小学校1年生から高校卒業までの11年間、日本語の補習校にも毎週通っていました。その甲斐あって今でも日本語には不自由しません。今となっては通訳や日本語を必要とする仕事のオファーもたくさんあるので、日本語が流暢に話せることは、アメリカに住む上では大きなアドバンテージになっています。

子供の頃から芸能活動に憧れ

 子供の頃から歌が好きで、日本の音楽番組を観ていたので、安室奈美恵さんやモーニング娘。さん、MISIAさん、宇多田ヒカルさんが大好きでした。アメリカ映画も普通には観ていたのですが、それよりも日本のドラマやアニメにはまって、『ごくせん』とか『ドラえもん』『セーラームーン』は夢中になって観ていました。そういうところからエンターテインメントビジネスに興味を持つようになったのかもしれませんね。

 小学生の頃から芸能活動に憧れを抱くようになったのですが、まだ子供でしたから、どうすれば女優になれるのか、芸能界がどういうシステムで成り立っているのかなんてこともわからずに、とりあえずアクティングスクールに通うことを思いつきました。2年ほど通わせてもらったんですけど、授業料が高くて続けられず、その後しばらくは、その夢からは遠ざかっていました。チャンスが巡ってきたのは中学2年生の時。補習校の友人から、日本語と英語を話せる人を探していると誘われ、クラスのほぼ全員でオーディションを受けに行きました。後で知ったのですが、そのオーディションは、ディズニー・チャンネルの『ディズニー・ムービー・サーファー』の日本語版で、ディズニー映画の舞台裏を紹介したり、プレミアや撮影セットに行ってアニメーターや役者、監督らにインタビューをするレポーターのオーディションだったのです。幅広い年齢層の人がオーディションに参加していましたが、そのなかからたった1人しか選ばれないと知り「こんなに頑張ったんだから絶対に受かりたい」という気持ちがすごく強くて。ただ受かりたいってことだけを願い続けました。すると、後日、合格の知らせが届いたんです。

 そして、なんと生まれて初めての仕事が、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジョニー・デップやオーランド・ブルームへのインタビューだったんですから、ものすごくラッキーでした。

 質問内容などは台本が用意されているのですが、インタビュー時間が数分単位で区切られていて、残り1分になるとスタッフから「そろそろ終わり」という合図が出るので、そのプレッシャーたるや尋常ではなく、緊張感で押し潰されそうでした。プロのアナウンサーだったら上手く時間内にインタビューをまとめて、最後にビシッと決めるんでしょうけど、もうドキドキが止まらず、相手の返事を聞かないうちから、「次、何だったっけ?」って、あたふたしてましたね(笑)。前日はうなされることも度々ありましたが、このお仕事は4~5年間続いたので、結果的にはそれが将来への自信につながりました。

学業と仕事の両立

学業と仕事の両立

©Charlie Chang


 セレブリティーへのインタビュアーとしてアメリカ国内だけでなく、メキシコやパリ、プラハ、イギリスなど色々な国に行かせていただきました。国外に行く時は学校を長期で休まないといけなかったので、高校に入ってからは勉強と仕事のバランスに苦労しましたが、自分がやりたくてやっていたので、仕事優先で学校には行ける範囲で通っていました。高校を卒業する少し前からは、NHKのスポーツ番組でリポーターの仕事も始めました。高校卒業時に母からは「日本の劇団四季に入ったら?」と言われ、そんな選択肢もあるんだなとぼんやり考えましたが、その時は周りが皆大学に行くので自分も行くという流れに乗っただけでした。今になって思うと大学には行かなくても良かったのかもしれません。行くのが当たり前だと思っていたので、あまり深く考えずに友人たちと一緒にUCや、ニューヨーク、ボストンの大学などにアプライし、UCLAに進学しました。

 在学中も、ディズニーのリゾートを紹介する日本の番組でガレッジセールのゴリさんと一緒に仕事をするなど、芸能活動を続けながら勉強もしっかりと頑張って、2014年6月に3年半で卒業しました。

日本での生活に挫折

日本での生活に挫折

撮影:Gene Shibuya


 ディズニー・チャンネルの仕事ではインタビュアーをしていましたし、NHKでもレポーターをしていたので、卒業後は自然な流れでアナウンサーになろうと思っていました。就職についてあれこれ考えているうちに、「そうだ、日本に一度も住んだことがなかったので就職する前の今しかチャンスはない」と思い立ち、日本に住んでみることにしました。神奈川県の祖母の家に住みながら、東京のNHKで通訳の仕事に就いたんです。もしかしたらアメリカより日本の方が肌に合うかもしれないと軽い気持ちでしたが、「もう無理!」と3カ月でギブアップ。日本が嫌だったわけではなく、祖母の家から東京まで1時間のラッシュ通勤が慣れず、いつ仕事が終わるかもわからない日本の会社システムに馴染めなかったりして、フラストレーションがたまっていたんでしょうね。日本では友達もあまりいませんでしたし、通勤時間が長くて疲れて帰ってきて寝て、また次の日も同じことの繰り返し。そんな生活が続いて疲弊してしまったんです。そんな私を見ていた両親は心配していたと思いますが、進路についてとやかく言うことはなく、「これをやらなきゃダメ」みたいなこともなかったですね。きっとヒヤヒヤしながら、見守っていてくれていたんでしょう。

 当時は「自分は何がしたいんだろう」と先が見えない将来に不安を感じて、すごく悩んでいました。周りの友達はみな就職が決まり、やりたいことに向かって一人暮らしをしながら生き生きとしている子を横目に、「自分は何をやっているんだろう」とひどく落ち込みました。アメリカに戻ってきてからは、「早く何とかしないと!」と焦ってカリカリしてばかり。そんな焦燥感のなかで、「本当は女優の仕事をずっとやりたかったんだ」とある日気付いたんです。そこから女優になるためにアクティングのクラスに通い始めました。一番下のレベルのクラスに入りましたが、毎日楽しくて仕方なくって。自分のクラスがない日も上級クラスを見学しに毎日通い詰めて、これだ、これしかないっていう気持ちで、遠回りをしましたが、この道に突き進むことを決めました。

女優を目指してすぐに大役を掴む

女優を目指してすぐに大役を掴む

撮影:Gene Shibuya

 2014年11月からクラスに通い始め、翌年の1月に映画のオーディションを受けました。何の映画でどんな役なのか情報も何もないまま、オーディションが2回ありました。最初はビデオオーディションで、次はそれと同じ内容を監督の前で演じました。合格通知がきた1週間後にトロントでデヴィッド・エアー監督とミーティングをした時に、初めてアメコミを実写化した『スーサイド・スクワッド』の「カタナ」という日本人キャラクターを演じることを知ったのです。演技を始めたばかりでこんな話題作に出られるなんてすごくラッキーですが、どうして受かったのかは、未だにわからないんです(笑)。

 実は2回目のオーディションでエアー監督に会って気に入ってもらったのですが、プロデューサーは名の知れている役者さんを探していて、「彼女は知られていないから」と言われたそうです。詳しいことはわかりませんが、影響力のある方が出演すれば作品が売れますから中国や日本の有名な役者に出演してほしかったようです。プロデューサーを説得するために、私が以前出演した作品のビデオや写真、レジュメなど資料をたくさん送ってほしいと言われ、そこから結果を待っている間は何も手につかずドキドキで、決まった時は嬉しくて泣きそうになりました。

 それからインスタグラムなどSNSのコメントで日本やアジアの方から、「Proud of you!」とか「日本のキャラクターを日本人が演じてくれて良かった。ありがとう」など多くのコメントをいただきました。今だにハリウッド映画では全く違う人種が日本人役を演じることも少なくなく、それは日本人としてはやはり違和感がありますよね。女優のヴィオラ・デイヴィスがエミー賞のスピーチで、「白人と有色人種の女性を隔てている唯一のものはチャンスだけ」と話していましたが、本当にそういうことなんだと改めて思いました。選ばれた時は単に嬉しくて自分の人生で最高の出来事だと思っていましたが、今は日本の人に対してこの役を私が演じさせてもらえることの意義を真摯に受け止めています。この役を私が演じることができて本当に良かったですし、みんなの期待を背負って立てる女優に成長していきたい。これからも日本人やアジア人全体の期待に応えられるように頑張らなければという気持ちがより一層強くなりました。

習っていた空手が武器に

 7歳年下の弟がやんちゃ盛りの頃に、何か習い事をさせようと始めたのが空手で、私は弟が騒いで迷惑にならないようにベビーシッター役として一緒に習い始めたのに、いつの間にか私の方がハマってしまいました。大学進学で断念しましたが、型の大会に出場するなど本気モードで、黒帯の一歩手前までいきましたね。『スーサイド・スクワッド』のオーディションはアクティングとマーシャルアーツ、そして刀のデモンストレーションの3つのパートがあり、空手の経験があったことが大きかったでしょうね。それもあって合格できたのだと思います。

 1カ月半から2カ月間のプリプロダクション期間があり、マーシャルアーツ、フィットネス、ソードファイティングの稽古を毎日しました。オーストラリア人のマーシャルアーツのスター、リチャード・ノートンさんがファイトコーディネーターを務め、映画『マッド・マックス 怒りのデスロード』を手掛けたガイ・ノリスさんがセカンド・ユニットの監督を担当するなど、プロフェッショナルな方々との仕事は貴重な経験でした。撮影ではアクションの振り付けを覚えないといけませんが、一つ一つの動きに意味を持たせないと単なる踊りになってしまいます。例えば、何人かが私の周りにいて、この人を倒した後はこっちが来るけど、その前にこちらを先にやって。目線はこっちを見ながら…みたいな立ち回りの部分などで、空手は大いに役立ちましたね。契約上、危険なシーンはやらせてくれないのですが、できる限り自分で演じることができたのも武道の心得があったお蔭です。


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