高校中退後、美容専門学校に入学

高校中退後、美容専門学校に入学

©Gene Shibuya


 少年時代はかなりヤンチャな不良でしたが、もともと人を喜ばせ、笑顔にすることが大好きだったので、将来はホテルマンになりたいとずっと思っていました。16歳で高校を中退後、中卒で入れる専門学校は美容学校か調理師学校しかなく、美容師の世界に足を踏み入れました。

 東京にある住田美容専門学校に進んだものの、成績は最下位で卒業を迎えました。日本の美容学校は成績の良い順に一流のサロンに配属されるシステムなので、びりっけつの私は下町の小さな美容院に就職。その時代は、一流の美容院だと新卒の美容師を一から店のカラーに育てたいので、中途採用は受け入れておらず、小さな美容院から這い上がるには自分でステップアップするほかありませんでした。

 三流の私がどうやってステップアップしたら一流の美容師を追い抜くことができるのか真剣に考えた時に、外国に対する知識などまったくありませんでしたが、とにかく海外に行くしかない、そして思いついた場所がロサンゼルスでした。当時は、日本ではまだ珍しい完全歩合制の店で3年間死ぬほど働いて資金を貯め、23歳の時に頼る人もなくバッグ1つで渡米。夢と希望に溢れ、大志を抱いてアメリカを目指したというよりも、海外で修業をするために辿り着いた場所がアメリカでした。

ハリウッドのサロンが出発点 / 思いがけない独立のチャンス

ハリウッドのサロンが出発点 / 思いがけない独立のチャンス

1981年、美容学校を卒業後、美容院での見習い時代


 渡米して初めて雇ってくれた店が、ハリウッドにあるマロ・ヘアサロン。最初は床に落ちている髪の毛をほうきで掃く仕事からでしたが、ある時シャンプーをさせてもらうと、日本人は手先が器用ですからすぐに気に入られ、それからはブロードライやカーラーを巻く作業を任せてもらえるまでになりました。場所柄ユダヤ人が多いエリアだったので、富裕層の年配客が多く、ほとんどが弁護士か医者ばかり。ユダヤ人は日本人贔屓ですから、まだ来たてで英語が話せなかった私にとても親切にしてくれましたね。テレビでしか見たことのない金髪のお姉さんたちもやって来たりで、見るものすべてが新鮮で刺激的でした。

 毎日、必死で接客をして、私の英語はオーナーのマロさんのコピーだと言われるくらいに、朝から晩までマロさんの後ろ姿を見て学ばせていただきました。そして、生意気で、社会に適応できないまま日本を飛び出してきた私をありのまま受け入れてくれたのもマロさんご夫婦でした。若気の至りで尖っていた時代に、自分たちの子供同然に扱ってくれて、ある時は本気で叱ってくれたりしながら、大きな心と愛情で受け止めてくれたマロさんご夫婦のお蔭で、自分自身がどれほど救われたことか。いまだに交流があり可愛がっていただいていますが、生涯の私の恩人であり、メンターであるマロさんとの出会いで人生観が一変。ここで働かせていただいた3年間は、人として美容師としてかけがえのない豊かな時間でした。あの場所が私のアメリカの出発点です。

 3年間アメリカで躍起になって働いていれば、日本帰国後は一流になれると信じて疑いませんでした。しかし現実は、アメリカ人社会にどっぷり浸かって3年間仕事をしていても、大して英語を話せるわけでも、これといったキャリアが身に付いたわけでもありません。

 カリフォルニア州の美容師ライセンスも持たないまま、そろそろ日本に帰ってもいいかなと思っていた頃、「無利子でいい。返済は払える金額を少しずつ返してくれたらいいから店を買い取ってほしい」と熱心に声をかけていただいたのが、2人目の恩人となる初代ピア•ヘアサロンのオーナーでした。それがきっかけで、1991年8月にピア・ヘアサロンのオーナーとして独立。同月に同じ美容師である妻とも結婚し、カリフォルニア州の美容師ライセンスも取得、すべてが揃い踏みでした。

 ピア・ヘアサロンを引き継いだ時に、まず考えたのは将来的に美容院を発展させたいので、最初から私自身があまり顧客を抱え過ぎないようにしようと。そうしなければステップアップできる時期が来ても、店から離れられなくなってしまうと思ったからです。

 それともう一つの理由は、美容師になりたての頃に「美容師は才能」ということを自分なりに悟ったからです。お客様が付く美容師は手からアーティストのオーラが出ていますが、自分はそうではないことに早くから気づいていました。技術でお客様を取れる人と接客で取れる人の2パターンがあるとすれば、私は後者だという自覚がありました。手からオーラが出ている人とは違って、いずれどこかで必ず行き詰まることはわかっていましたから、美容師ではなくマネージメントの方向に進もうと20歳の頃には既に決めていました。日本で働いていた店舗で売り上げNO.1を1年間継続してマネジャーに抜擢された経験が、今も私の根本にあります。なので技術であれ、接客であれ売り上げを持ってこれる人がマネジャー(マネージメント)になる条件であるというのが、私の経験から得た持論です。

美容師のための美容留学事業 / 日本で3人目の恩人との出会い

美容師のための美容留学事業 / 日本で3人目の恩人との出会い

2010年、「芸能人美容師」Mr.Yamadaとして活動している頃


 26歳で自分の店を切り盛りし、33歳になった頃には店の経営は順調そのもの。普通の人ならば夫婦で地道にこのまま店をやっていれば、一生安泰だと思うのでしょうが、「一美容師のままでは終わりたくない」という向上心は常にありましたね。

 私は手元にあった約30万ドルを元手に新しいビジネスに投資したいと思いスタッフに相談してみました。その資金を使って日米の架け橋となるような事業を始めるか、店舗数を増やすか話し合った結果、カリフォルニア州美容師ライセンス取得留学プログラムを始めることを思いつきました。

 昔からロサンゼルスには留学業者を通じて日本からたくさんの美容師が留学してきますが、実は語学学校に通いながら個人で美容師ライセンスを取得するのは至難の技なんです。そのため、多くの留学生は語学学校だけ通って帰国するか、美容師ライセンスに挑戦したものの挫折してしまうかの二者択一のような現状でした。そこに風穴を開けたいという一心で「美容師による、美容師のための美容留学」をモットーに、2001年に美容の留学プログラム事業をスタートさせました。

 日本で4年以上の実務経験があれば1600時間の美容学校の授業が免除されるため、実務経験者向けの12カ月コースと、実務未経験者向けの18カ月コースの2つのプログラムを作成。いずれも語学学校に通いながら、美容師ライセンス取得を全面的にバックアップする内容で、開校以来、ライセンスの取得率は99.8%を誇っています。

 今までに320人もの留学生を受け入れていますが、試験に落ちたのはたった1人だけ。その生徒も2度目で合格しています。スタッフが書類や試験内容を常にアップデートしているため、それが高い合格率につながり、さらに現地に到着してからもスタッフ自らの経験を生かし、ホームステイ先の紹介から車の免許取得や購入、銀行口座の開設など生活のすべてにおいて手厚くサポートしている点が留学斡旋業者との違いなのだと思います。

 順調に見える留学事業も、当初は日本に何のコネクションもなく、3年間の営業活動で資金はすべて使い果たしてしまいました。美容師自身は留学を希望していても、美容室やメーカー、ブローカーといった組織の人たちが人材流出を理由に留学を阻止していたんですね。絶対にニーズがあることはわかっていても、どうにもならず諦めようか迷っていた矢先、現在のグループ会社である株式会社セイファートの代表を務める長谷川高志社長を紹介され、セイファートが発行する美容師専用の求人広告誌「re-quest/QJ」になんと無料で1ページ広告を掲載してもらえることになりました。全国20万人の美容師が読んでいるフリー雑誌だと聞いてはいましたが、それが掲載されると留学希望者がこぞって問い合わせをしてくれるようになりました。

 それを契機に長谷川社長とはとても気が合い、「一緒にビジネスをやりませんか?」と誘っていただいたのです。苦労してここまでアメリカでビジネスを成長させてきたという自負もあり、一緒に組むなんて当初は考えられませんでした。しかし、それからも交流は続き、2年間で長谷川社長の誠実さと根気に自然と心が傾きました。

 そうして、2004年にセイファートの米国法人Seyfert International USA, Inc.の代表取締役に就任。グループ会社になる以上、ただアメリカだけを大きくすることよりも、グループ全体を大きくしていきたい。そして、どうせならその中核で自分も役に立ちたいと強く思いました。今ではセイファートグループの海外事業展開を一手に任せていただき、あの時の決断を後悔することは一度たりともありません。長谷川社長との出会いが私の視野やビジネスマインドをより広げてくれたことに心から感謝しています。

グアムでウェディング事業を展開

グアムでウェディング事業を展開

©Gene Shibuya


 セイファートのグループ企業になって最初の仕事は、海外挙式のヘアメイク。グアムはハワイに次ぐ日本の海外挙式における第2の市場で、年間1万件ほどの挙式が行われており、主に4つの大手ブライダル会社で占められています。そのなかの一つ、ワールドブライダルがグアムではカリフォルニア州の美容師ライセンスがあれば仕事ができることに目を付け、我々にヘアメイクを請け負ってほしいとアプローチしてきました。

 海外挙式で一番多いクレームをご存知でしょうか?それは、ヘアメイクを現地の人にやってもらったのが気に入らなかったというものなんです。そこで日本人美容師がやることで差別化し、顧客増加を図りました。この事業は2005年から取り組み、3人の美容師が現地に滞在して年間2000人、これまで12年間でのべ2万6000人の花嫁様を手掛けてきました。

 最初は離れ小島に多感な30代の美容師を送って管理するなんて到底できないと思っていました。ですが実際は、美容師たちはウェディングのヘアメイクを年間400〜600組も一手に手掛けることで技術を磨き、幸せな現場に立ち会えることでやりがいにもつながっていくことがわかったのです。グアムは湿気が多く暑い上、ビーチアテンドもしないといけませんから、労働条件でいえばとても過酷です。でもこれまでに誰ひとりとして遅刻、欠勤、ドタキャンをしたスタッフはおらず、それには頭が下がる思いです。

北京で富裕層向け高級サロン

北京で富裕層向け高級サロン

2006年、グアムのウエディング事業では、「花嫁様の喜ぶ笑顔が何より美しいと感じました」と言う山田氏


 2012年に北京に富裕層専用サロン「ayna」をオープンさせ、3年間中国に滞在していました。中国芸能界のドンと呼ばれる馬氏と長谷川社長と3人が組んで始めた事業で、その後、私は「芸能人美容師」としてプロデュースされて売り出されました。東洋人でロサンゼルス在住、英語も話せて、絶対に裏切らない日本人ということで、私がすべての条件に合致していたんです。

 「ayna」は年会費12万ドル、30名限定の超高級会員制サロンで、大物政治家の家族らが顧客に名を連ねていました。彼らはステータスを得たいがためにサロンの会員になっているだけで、たまに来ては私とお茶を飲みながらおしゃべりをして帰っていくだけ。ある意味、秘密の社交場のような場所でしたね。バブル最中の中国には、私を指名するだけでヘアカットに2000ドル、パーマに5000ドルをポンと支払う人たちがいるのです。

 私は北京では著名な芸能人でしたから、街を歩けばサインや写真をあちこちで求められ、どこに行ってもVIP扱い。中国のソーシャルネットワークWeiboで59万人のフォロワーがいる、世界で一番有名な美容師でした。夢のような3年間を北京で過ごせたことも、またいい経験となりました。

売り上げはバロメーター

売り上げはバロメーター

2011年、北京にて富裕層向けのヘアメイクセミナーを開催。終了後に参加者と記念撮影


 ピア・ヘアサロンはオープン以来24年間、一度も売り上げを落としたことがありません。調査したところ、カリフォルニアには4万軒の美容院があり、うちの売り上げはベスト16。全米では200万軒ある中のトップ1000に入っています。オープン当初は月5000ドルの売り上げから始まり、今では毎月平均1400人のお客様に来訪していただいています。

 英語もおぼつかない東洋人が経営している美容院に、なぜこんなにもたくさんのアメリカ人が集まるのか?理由を知りたくてアンケートを取ったことがあります。6000人もの顧客に聞いた結果、「感じが良い」「お店がキレイ」「人がいつも一緒」というコメントが上位を占めていたんです。オープン当初から心がけていたスタッフの接客態度や店内の清潔感、いつでも予約が取れる美容室として努力してきた姿勢を評価されたことは、心から嬉しく思いました。美容室であれば、技術が上手くて当たり前。言い換えれば技術が上手いとは、お客様が望んでいるものを再現する力が備わっているということです。売り上げの良い美容師は、お客様の望む形を再現する能力に長けており、笑顔、接客、サービスも素晴らしく、はたまた身のこなし、洋服のセンスも良い。この6つの要素すべてを兼ね備えている美容師が顧客に支持される美容師なんです。

 ピア・ヘアサロンでは、単純に売り上げだけ上がれば良いのではなく、利益、社会貢献、社会的地位の3つが、きちんと正三角形になっていることを重要視しています。社会貢献は2通りあり、一つは日系養護施設「敬老ナーシングホーム」で2000年からずっと続けているヘアカットのボランティア。もう一つは、雇用の促進です。外国人美容師が活躍できる場作りとして雇用にも力を入れて取り組んでいます。3つ目の社会的地位とは、どれだけの知名度があるかということと、対外的に見ても評価されるだけの価値があるか、だと思っています。私はこの3つのバランスにとにかくこだわって経営してきました。

 また私は、常に美容師にハッピーでいてもらうことを念頭に、そのための安定や充実、生活の向上を提供できるようにしています。お客様だけでなく、働いている美容師自身が笑顔ならお客様もハッピー。そして美容師はお客様のことだけを考え、決して経営者の顔色を窺ってはいけないのです。ありがたいことに従業員の定着率は高く、皆、一緒に歳を取ってきました(笑)。だけど、美容師である妻共々、昔話ができる仲間がずっと店にいてくれることが何よりの宝だとつくづく思います。

 昔から声に出して伝え続けていることや人生のビジョンは終始一貫しています。今後の大きな夢としては、逆輸入の形で日本に外国人専用のサロンをオープンしたいと考えています。

 たとえ世の中や時代が変わろうとも、私の原点はやはり人を喜ばせること。これからも人(従業員、顧客、仲間)を笑顔にすることが美容師としての使命だと思って、ひたすら邁進して参ります。

~信条~

スタッフの安定、充実、向上を具現化する

終始一貫した確固たる信念として、給料制、福利厚生などの充実とスタッフ一人一人の将来の目標の実現と向上を図る。


Seyfert International USA, Inc. President 山田実氏

Minoru Yamada■1964年東京生まれ。83年、住田美容専門学校を卒業後、渋谷、新宿の3店舗で美容師として勤務。86年に渡米し、ハリウッドのマロ・ヘアサロンで働き始める。91年、トーランスのピア・ヘアサロンのオーナーになる。2001年、カリフォルニア州美容師ライセンス取得留学プログラムを開始。04年に株式会社セイファートの米国法人Seyfert International USA Inc.代表取締役社長に就任。グアム島においてウェディングのヘアメイク事業を行っているほか、12年には中国・北京市で富裕層向け会員サロン「ayna」をオープン。今年1月にピア・ヘアサロン2店舗目となるアーバイン店をオープンさせた <文 = 千歳香奈子>

会社概要

社名: Seyfert International USA, Inc.
本社・工場所在地:2579 Pacific Coast Hwy., Torrance, CA 90505
事業内容:●PIA HAIR SALON(トーランス、アーバイン)2店舗の営業。
●グアムにてヘアサロンおよびブライダルヘアー&メイクアップ事業。
●カリフォルニア州コスメトロジーライセンス取得サポートプログラムの運営。
現在までに、のべ320名の美容師がライセンスを取得。
従業員数: 17名
創立: 1991年
Web: www.piahairsalon.us

www.seyfertusa.com


2016年05月号掲載