秋の特選インタビュー|お笑い芸人
陣内智則氏

秋の特選インタビュー|お笑い芸人  </br>陣内智則氏

Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi


 8月1日にハリウッドのフォンダ・シアターで単独ライブ「Tomonori Jinnai’s World Tour NETAJIN in Los Angeles」を敢行。ソウル、ラスベガスでの公演に続く「陣内智則ワールドツアー」第3弾で、全編英語で笑いを届けた陣内智則さんに近況を伺った。

どん底から世界ツアーに挑戦

どん底から世界ツアーに挑戦

Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi


 この世界ツアーは、2011年にソウルでの最初の公演から始まりました。韓国では、YouTubeで僕が出ている番組を観てくれている人が多く、結構名前が知られていたんですね。ちょっと意外やったんで、「じゃあ、何かやらなぁあかんな」と思ったのがきっかけでした。ちょうどその頃は仕事がなくて時間だけはあったので、「韓国でライブでもやったろかな」みたいなノリで始めたんですけど、正直言うとレギュラー番組が1本もなくなり、さあどうする?というどん底の時期だったんですよ。でも、何かやらんとこのままではあかんと思ったタイミングで、「落ちたら這い上がれ」っていうタイトルでライブをやろうと、ネタ作りをしながら並行して韓国語も覚えました。

 韓国人のお客さんの前で韓国人のコメディアンと一緒にステージに立ち、MCの人が何言ってるかわからへんのにずっと話を聞いて、みたいな感じで、客観的に見たら「俺何してんやろ?」て感じでした。でもそれが面白かったんです。言葉は難しかったけど、ネタを見て評価してくれるのが素直に嬉しかったです。こんな経験、誰もできへんやろと思って。で、それがありがたいことに好評価をいただいたんです。韓国のプロデューサーが観に来てくれて、そこから月に1回、韓国のネタ番組にも挑戦させてもらいました。でも、韓国語がほんま難しくてね。どうせ難しい言葉を覚えるなら、英語を覚えたら色々な国に行けるんちゃうかなってんで、それなら英語を覚えようと思って。そして、どうせだったらラスベガスに行きたいって話になり、2014年にラスベガスの舞台に立ちました。韓国と違って、ラスベガスでは僕のことを知らない人が多かったけど、小さい劇場にたくさんの人が観に来てくれましたね。

初めてのLA上陸

初めてのLA上陸

Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi


 ラスベガスでの公演を経験した後、この2年間は何かぽっかり穴が空いたような感じでした。エンターテインメントの街で舞台に立ったことはすごく刺激的で、その後はただただ時間があっという間に過ぎた感じで…。英語でネタをやるのは、正直しんどかったですよ。でもこんな経験は誰もできへんから、やっぱりまた何かせなあかんなっていうので、「じゃあ、次はロサンゼルス行こう」ってなったんです。ニューヨークにも行ってみたいけど、やっぱりまずはロサンゼルスかなということで、今回フォンダ・シアターで公演を行うことにしたんです。なんかロサンゼルスっていう響きがかっこいいじゃないですか?!エンターテインメントの街としての魅力もあるし、やっぱりここに行かなあかんやろと。そうは言いつつ実はロサンゼルスは初めてだったんです(笑)。公演前にこのあたりを観光しましたが、チャイニーズ・シアターとかハリウッドの看板とか、テレビで観ていたものそのままで、目に入るものすべてが映画の世界みたいでした。

 過去2回の公演はやることに意味があると思っていたので、「あかんくて当たり前」という気持ちで舞台に上がりました。それがラスベガスでの公演では思いのほかお客さんが笑ってくれて、良い感じで終わったんです。だから3回目は「どうでもええわ」じゃあかんやろなと、ちょっとプレッシャーを感じていました。英語を忘れた時点で劇場がシーンとなってしまいますから、そんなんなったら最悪じゃないですか。だからネタがウケるかどうかよりもちゃんとできるのか?という感じでしたね。僕はマイナス思考というか、毎回最悪の状況を考えてしまうんです。海外公演では「ウケないやろう」と最悪のことを想定し、最初から「ウケんでもお前は焦るなよ」っていう心構えでやっています。

日本のお笑いを海外に輸出

日本のお笑いを海外に輸出

Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi

 日本語だったら自分の言葉で好きなネタをやれるんですけど、今回はワールドツアーなので外国の人が理解できるネタが大前提。しかも英語が話せないんで、最小限の言葉でやらないといけないもどかしさがありました。限られた内容でやるという部分では、少し自分の首を絞めながらやってる気もしますけど、それをもっとやることによって、もう少し幅を広げられたらええなぁとも思います。ただネタに関しては、海外公演のために特別に作ったりはしていません。日本で作ったネタを見比べて、「これは韓国人でもわかるだろうな」「アメリカでウケるだろうな」という感じで選んだので、敢えて特別なネタを考えてはいません。

 寿司やてんぷら、ラーメンとか日本食はもちろんですが、日本のアニメも海外で人気がすごいじゃないですか。でも、お笑いって全く輸入されてないんですよね。言葉の壁があると思いますが、日本のお笑いはすごくレベルが高いと思うんです。

 偉大な先輩方がたくさんいるなかで、お笑い芸人としてこの人たちに勝てるのは何やろ?と自問自答した時に、自分のネタで海外でお笑いをやることは他の人にはできひんやろなと思いました。日本語の漫才を海外でやるのは無理じゃないか?!でも、僕のネタだったら世界でも通じるやろなと思ったんです。だから別に自分がジャパニーズNo.1コメディアンだとかお笑いを代表してやってるわけではなく、単純に「日本のお笑いってこんなんですよ」っていうのを広めたいというか、「日本のコメディアンは頭が良いんだよ。繊細なんだよ」というのをアピールしたかったんです。でもこれが広がって、「ジャパニーズ・コメディアン陣内智則は面白い」と言われるようになったら、お笑いがもっと世界に広がるかなと思います。日本のアニメと同じように、日本のお笑いが世界で人気に火がついたら面白いですよね。ハリウッドで日本人俳優と言えばやはり渡辺謙さんですが、自分もお笑いと言えば陣内智則という風になれたらいいなとは思いますが、それは夢のまた夢。でも、その道を切り開く人がいなければ発展はしないので、そこはこだわってやっていきたいですね。

 実際に「海外でやりました!」と言っても海外に住む日本人向けに日本語で興行をやっている人が多かったりしますよね。僕の場合、それやったらやる意味ないなと思うんで、現地の言葉でやることにこだわりました。やっぱその国の言葉で現地の人に観てもらうのが一番の理想です。

 海外で活躍するコメディアンって、キャラクターや動きそのものがギャグじゃないですか?顔やリアクションで笑わせたり、パントマイマーみたいにパッとした動きで笑わせるみたいな。でも僕はそんなこと一切できないし、見た目からして芸人という感じじゃないし。僕の場合は逆にそういう動きのお笑いじゃなくて、本当にちゃんとしたストーリーで、5〜6分のコントをするんです。リアクションで笑わすことができないから、そんなことに関係なく笑えるものを作ろうということで始めたんですけど、その自分のスタイルは海外に挑戦するには結構マイナスやと思ってました。こちらのコメディアンを見ていると、キャラクターとか特徴的じゃないですか。でも、僕は動きもないし、見た目からして誰だかわからないような人だから、「何や、その辺にいる普通の日本の兄ちゃんやん!」と思われるだけやろなと。でも、そのマイナスイメージを覆すことができたら面白いなぁと思います。キャラクターを作って何かすることができないからギャグがないし、一発で笑いを取れない。それでも日本で作ったネタだけで、ほんまに世界の人たちが笑ってくれたら、こんな幸せなことはないです。これからも、アメリカはもちろん色んな国に行って海外公演をしたいですね。夢は「陣内来るんやったら観に行こう」って世界各地で思ってもらうことです。

暗記が特技!?

暗記が特技!?

(左) Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi

(右) ©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.


 暗記は特技と言えるほど得意で、台詞や台本を渡されてパッと読んだら、大体覚えられるんです。でもこれ、日本語の場合ですけどね。今回は英語だから、適当ってわけにはいかないので、ある程度こんなこと言ったらええねんじゃなくて、これを言わなあかんというのがあってちょっと怖かったですね。英語は中学生の時に習った単語とかも出てくるけど、韓国語は聞いたこともないんで、歌を覚える感覚で暗記しました。だから何言ってるかわかんないんです(笑)。ただリズムで覚えてる感じなんで、時々「俺、何言ってるんやろ?」ってなります。でも、本当はそれではダメやと思うんです。ペラペラは無理でも、ちゃんと自分で理解して自分の言葉として伝えられるくらいまでになったら、もっと見える世界が広がって、きっと楽しいやろなぁと思います。

お笑いに入ったきっかけ

お笑いに入ったきっかけ

(右) ©YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.


 小さい頃から普通にお笑いが好きで、この世界に入りました。こんなことで仕事ができて、お金がもらえたらええなぁって感じでしたが、いざ入ってみるとすごい人がたくさんいて大変な世界でした。最初はリミテッドというコンビを組んでたんですが、鳴かず飛ばずで仕事が全くなく「解散しました」と、言ったところで誰にもわからないようなデビュー当時でした。吉本の当時の支配人に、「辞めるか1人でやるか、どっちかにせい」と言われて仕方がなくピン芸人になりましたが、本当はピンでやるのは嫌だったんですよ。平場でトークしたり、瞬発力であったりとか、ひな壇だったら人をかき分けて出ていくというのが苦手だったんで、毎日落ち込んでいました。その時に苦肉の策で何とか相方を作ろうと思って、音声や映像を相方に見立てて作ったことが新しいと言われ、今の自分のスタイルになったんです。やりたくてやったわけではなく、その逆でやりたくないからできたネタだったんです。結果的には、その時代にそういうことをやっている人が他にいなかったので、斬新だと言われたんでしょうね。

 ピンになってある程度仕事をもらうようになり、いわゆる全国区のお笑い芸人たちと仕事するようになってからは、「何であの人はあんなにおもろいのに、俺はできひんのか」とか、ほんまに自分の嫌な所やダメなとこばっかり気にして、まったく自信が持てなかったです。自分ができないことを人ができるのが羨ましくて、劣等感の塊でした。元々は正統な道をぽんぽんっと進みたかったんですよ。そんな簡単なわけないのに、冠もらってとか、まずは理想を描くじゃないですか。関西で司会をやらせてもらったりしていた30ぐらいの時は、早く東京で自分の番組が持ちたくて焦って、「こんなんやりたくない」とかちょっと天狗になってました。でも仕事がなくなって、「こんなんしてたらアカンわぁ」って気付いたんです。でも本当は単に自信がなかっただけ。自信がないから、「やらへん、やらへん」って言ってたんです。

 でも3、4年前のある時から、「自分のできることをやったらええわ」て開き直りました。昔の自分だったら、憧れのさんまさんを目の前にすると、「やっぱあかんわ。あの人の前やったら、もう何にもできひんわ」ってなってたんです。でも今やったら、「さんまさんは凄いよ。でもじゃぁ、俺にできることは何やろ?俺は海外行って、こういうことやろう」って思えるようになりましたね。もちろん刺激は受けますが、良い所だけを盗んで吸収しようと気持ちを切り替えました。近頃は少しずつ、自信を付けたから何でもやるよっていうやる気だけはあります。

 いつも何かやる時にはギリッギリまで緊張しても、いざ舞台に上がる時には、何とかなるやろうという気持ちでやってます。諦めとかじゃなくて、そこまで自分でやってきたという自負があるから。何もせんと何とかなるやろうはないですが、もうここまでやってるんやから、何とかなるやろうって感じです。今の方が何やっても楽しいですね。

とことんお笑いを全うしたい

とことんお笑いを全うしたい

(左) Photo by Atsushi "2GO" Miyoshi

 小中学生の頃は勉強もそんなできんかったし、野球をやっていたけど特別上手くも下手くそでもなく、これまですべてが中途半端だったので、お笑いだけは中途半端は嫌やなぁと思って、自分が納得出来るまでとことんやりたいですね。ネタを作る時も、「これでええわ」とは思わないですし、逆にもっと何かあるんじゃないかといつも思ってます。言い方悪いですけど、今回やったネタも自分で作っていて面白いとは思ってないんです。もっと面白いことできるはずやと思ってますから。でもそのなかで、自分のベストを心がけています。

 お笑いに関しては、自分に厳しいんです。ネタを作ることに関しても妥協はしません。でも、普段から常にネタを考えているかというとそんなことはないです。プライベートでもお笑い談義などは全くしないタイプなんですよ。

 今回のロサンゼルスも、「日本でも仕事あるのに、何であんなんやんねん?」って周りは思ってると思います。凄いなとか偉いなと言ってくれる人もいるけど、わざわざしんどいことしてアホちゃうかという意見もあります。でも、僕自身は全くどう思われても関係ないんです。自分が良くやったなと思えるかどうか、刺激があるかどうかだし、仕事がなくて彷徨っていた頃を思えば、お笑いの仕事が僕を支えてくれたんですから。司会やバラエティーの仕事ももっとやりたいですし、まだまだやらなアカンと思うこともたくさんあって、満足なんてしてないですね。

 これからも海外ライブはライフワークとしてやりつつ、お笑いの仕事を人生を懸けて全うしていきたいです。


お笑い芸人 陣内智則氏

Tomonori Jinnai■1974年2月22日兵庫県加古川市生まれ。高校卒業後に同級生と一緒に吉本総合芸能学院(NSC)の大阪校に11期生として入学。「リミテッド」と称するコンビを結成。NSC卒業後は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせるものの、評判は今ひとつで1995年に解散。解散後はピン芸人として関西のローカル番組に出演するも、97年には芸人引退の危機にも直面した。98年にABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞し、その後は2003年から放送された『エンタの神様』などで活躍して全国区の知名度を獲得。11年に「ワールドライブツアー第1弾 in 韓国NETAJIN」を成功させ、14年にはラスベガスでも公演を行った。趣味は野球、ゴルフ


2016年9月号掲載