秋の特選インタビュー|銀座クラブ経営者
日髙利美さん

秋の特選インタビュー|銀座クラブ経営者  </br>日髙利美さん

Photo by Shizuka Sherry


 26歳の若さで、銀座のクラブのママとなった日髙利美さん。18歳から接客業に携わってきた経験を活かし、企業研修や個人コンサルティングも行っている。銀座の一流のおもてなしについて、話を伺った。

恩は「返す」のではなく「送る」

恩は「返す」のではなく「送る」

趣味はボールルームダンスと篠笛。ボールルームダンスは週に1度は通い、身体を動かすのが気持ちいいと利美ママ


 今回はプライベートでロサンゼルスを訪れていますが、今までにロサンゼルスで3回、シリコンバレーでも1回講演会を行っています。2012年にアメリカでの最初の講演会では「『恩送り』銀座のおもてなし人生」をテーマに講演させていただきました。「恩送り」とは、いただいた恩をその方に返す「恩返し」ではなく、出会った人たちに恩を送る、すなわち周りの人たちに親切にすることなんです。

 銀座のクラブでは、新人はまだお金に余裕がなくて着物が買えないため、お姐さんたちが古い着物を譲ってくれます。私も働き始めたばかりの頃は着物の着方がわからなかったので、お店のママの自宅にお邪魔して教えてもらい、ご飯まで食べさせてもらったりしていました。そうして次に自分が上の立場になった時には、今度は下の子に同じようにするんです。自分がしてもらって良かったこと、助かったことを下の子たちにしてあげることで、自分の受けた恩を次の世代に伝え、人を育てることにつながるのです。銀座にはそういう習わしというのでしょうか、脈々と受け継がれてきた文化があるのだと思います。これは、きっとどんな世界でも共通することではないでしょうか。

 講演会ではお客様とのコミュニケーションについてや接客、成功する人の共通点、モテる男の人についても話したりします。内容が違う話だと思われるかもしれませんが、1つ共通しているのは目の前にいる人を大切にすることの重要性。それには心にも時間にも余裕が必要ですし、自分自身を大切にしてよく知っていないとできないことです。他人を大切にすることは、大げさかもしれませんが、ひいては世界平和にもつながると信じています。

 また、出会った人とは、一生付き合う覚悟で接する心構えも大切です。出会った時に一生付き合う気持ちでいると、この人のために何かしてあげられるのでは?次に会った時には何をしようと、相手を大切にする気持ちが沸いてくるものです。おもてなしや作法において、型は大切ですがそれよりも先に心が重要です。型は応用が利きませんが、なぜそれをするのかその心が理解さえできれば応用が利きます。どんな場面においても、頭でっかちに型だけわかっていても相手の思いをわかっていなければうまくいかないものなんです。受けた恩をお返しする気持ちや行動は大切ですが、次の人に恩を送るということも忘れないでください。次世代に一人一人が心を伝えていくことで、世の中を良くしていけるのですから。

10歳で銀座のママになる夢を持つ

10歳で銀座のママになる夢を持つ

いつも笑顔で楽しく働いている利美ママ。ママの作るお酒を味わいに銀座のお店に足を運びたくなる


 10歳の頃から、将来の夢は銀座のママになることでした。友達のお母さんがバブル期の1985年頃に自由が丘にあったクラブのナンバーワン・ホステスで、美容院に行き、着物を着付けてもらい、お客様が車で迎えに来たりする姿を見て、子供ながらに憧れを抱いたことが理由の一つです。具体的に、行ったこともないのに自由が丘ではなく銀座のママになりたいと思ったのは、ドラマの影響もあります。学校から帰ってテレビをつけると、サスペンス・ドラマの再放送をやっていて、そこで殺人事件が起こると刑事が銀座のママやホステスに聞き込みするシーンがあったんです。そのテレビの中で、キラキラしたシャンデリアやキレイなお姉さんが着物を着ている姿に目を奪われました。「銀座は一流だから」というセリフを聞き、銀座は華やかな場所だと子供ながらに感じたんでしょうね。就労できる18歳の誕生日まで待ち、面接を受けに行きました。

 最初のお店は席に座るだけで10万円もする高級店。子供だったので何もわからず、灰皿一つ取り替えられず1週間でクビになったんです。次の店でも酔っ払って寝てしまったり、お客様が演歌や軍歌を歌うなかで、当時好きだった安室奈美恵さんの歌を歌うなど空気の読めない子でしたね(笑)。でもお客様はしらけるよりも、「この子はまだ子供だから」と温かく見守ってくれていたんです。「銀座のママになりたい」と言うと、そんなんじゃダメだと、お酒の作り方から銀座流の接客の仕方まで教えてくれて、お客様がお店の女の子を育て、お店もお客様を育てる。当時はそんな雰囲気がまだ残っていました。そこで、いい男がいい女を育て、いい女がいい男を育てるということを学びました。

 銀座というと松本清張の『黒革の手帖』を思い浮かべませんか?(笑)私のお客を取ったとか取られたとか怖いイメージがあるかもしれませんが、実際は永久指名制で、基本的にチームで動くのでキャバクラのような1対1の接客とは異なります。縦社会ですごく体育会系。例えばお姐さんのヘルプで席に着いてお客様から名刺をいただいたら「○○さんからお名刺いただきました。ありがとうございます。お礼の連絡を入れてもいいですか」と必ず伺います。

 20歳の時に移った3店舗目のお店で、自分の担当するお客様を持ちました。今は現金やカード払いが当たり前ですが、当時は9割のお客様がツケで飲む時代。担当するお客様の支払いが滞った場合は立て替えて払う契約(※店側と一定の売上契約を結んでいるホステスのこと)です。売り上げノルマを達成すると給料が上がりますが、逆に売り上げが上がらないと差し引かれます。一番年下ながら入店直後から売上ナンバーワンでしたから、自分ひとりで仕事している気になって天狗の時期もありました。自分のお客様が満席で店に入れないと、「なんで?」と気分を害し、気に入らないことがあるとすぐに「もう辞める」と口癖のように言っていましたね。ある時、社長がお店の入口でお客様に、席がいっぱいで用意できないことを謝っているのを目にしたんです。店内を見渡すとそこにいるのは私のお客様ばかり。その頃は若気の至りでイライラしては周囲に不機嫌に当たっていたので、「1人では仕事はできない」とオーナーに言われた意味がようやくわかったような気がして、そのことで自分自身が変わるきっかけにもなりました。ナマイキで同僚からも「同じ席に付きたくない」と嫌われていた時期もありましたが、チームで働いていることに気付いてからは、自分が受け取っていた指名料をヘルプで付いてくれていた女の子たちに渡すようにしました。そうすることで、一緒に働く人たちとも良好な関係を築けるようになり、私の担当のお客様も大切にしてくれたり、すべてが好転していきました。

23歳で雇われママ、26歳で独立

 23歳で雇われママになりました。「お店を出したら?」という話もありましたが、一度は雇われママを経験した方が勉強になると思って。結局は新しく入った女性マネジャーと相性が悪く、2年で辞めてしまいました。嫌な思いはしましたが、彼女との出会いがきっかけで26歳で独立。開店資金はすべて自分で用意しました。

 昔と比べると、悲しいかな銀座も随分と様変わりしました。若い世代に飲む文化が希薄になり、上司の誘いを断るようになったこともありますし、景気も良いとは言えませんから昔の様に若い子を連れて来られないんでしょうね。どこまでいっても日本の飲みの文化はなくならないでしょうが、これからは良いお店が残って、気が利かないお店やお客様を大切にできないお店は淘汰されていくでしょう。私は銀座が好きなので、この世界は何としてでも残したい。そして上の方々から引き継いできた銀座の質の高さを保ったまま次世代に渡したいと思っています。

 長く銀座で店をやっていると、店が次々と出来ては消えて過去になっていきます。10年経ってようやく銀座の人と認められるほどですから、生き残るのはほんの一握りです。銀座は他の場所と比べて家賃が高いですが、それだけ場所に価値があるということなんです。銀座でなければこんなに長くやってこられなかったとつくづく思います。銀座が好きで飲みに来てくださるお客様には、たとえ自分の店のお客様でなくてもエレベーターで一緒になればお話しもしますし、行き先の階のボタンを押したりもします。いつかご縁があって自分のお店に飲みに来てくださる日がくるかもしれない。銀座で楽しく過ごしてほしいという思いが銀座全体にあり、他のお店のお客様にも皆が気を遣う風潮が息づいているんですよ。

 お店はオープンしてからずっと順調そのものです。ママになって心がけていることは、私自身が楽しく働くことです。そうでなければお客様もくつろげませんから、女の子たちにも人生色々あるかもしれませんが、楽しくないと思うことがあっても、どうしたら楽しくなるかを考えて働いてほしいですね。

 オープン当初に、私が楽しくなかったら閉めると言っていた店も、今ではお客様やスタッフのものになっています。お店を継続させるための経営とこの先を見据えて人を育て、お客様や従業員が楽しい、あのお店にもう一度行きたいと思われる雰囲気を作ることが私の仕事だと今は思っています。また、女の子を育てるために、メイクレッスンを開催したり、服のコーディネートを教えてあげたりもしています。そうして、私自身がなりたいと思う大人になり、歳を重ねることの楽しさを若い子たちに伝えていくことも大切ですよね。

 実際にこの業界でずっとやりたいと思っている子は少なく、昼間の仕事もしながら目標があって働いていたり、結婚して辞める子もいます。でも、うちのお店で働いていたから、接待術を身に付け、就職先の接待の席で重宝されているという話を聞いたり、姑さんと上手くやれていると言ってもらえるのが、やってて良かったって思える瞬間です。

喜ばせごっこ

喜ばせごっこ

Photo by Shizuka Sherry

国内外問わず、旅行の際にお土産屋さん巡りは欠かせない。その日行った土産屋ランキングを付けて密かに楽しんでいるそう


 私たちの仕事は、大人の社交場である銀座でお客様とお客様のお連れの方がより良い関係を築けるお手伝いをさせていただくことです。接待で利用される時などは、ちょっとした仕草や席順などを観察し、来店した時からおしぼりを出す順番、飲み物を伺う順番などを綿密に考えます。そしてお見送りをする時は、お客様の姿が完全に見えなくなるまでしっかりお見送りをしています。

 ある時、お客様が「『真冬の寒い時でも見えなくなるまで見送りしてくれるから、振り返って手を振ってやれ』と若い頃に上司に教えられたんだ」と話してくれたことがありました。私たちにしてみれば、お客様に喜んでいただけたらと思っての行動でしたが、実はお客様も私たちを喜ばせるために振り返ってくれていたんだと気が付きました。お互いを思いやっているからこその心遣いだったんです。本当にありがたいことですよね。

 嬉しいなと思うことは、お客様の役職が変わって新しい名刺を持って報告に来てくださる時です。名刺を差し出す瞬間のはにかんだ表情は、「僕やったよ!褒めてくれる?」と言う子供みたいで、こちらまでその喜びが伝わってくるんですよね。ママの役割って実はお母さんなんです。名刺はただの紙切れだけど、その人の努力が垣間見えて責任の重さがひしひしと感じられるので、私はいただいた名刺は大事にしています。

 アンパンマンのやなせたかしさんの著書『明日を開く言葉』に、人生最大の喜びとは何か。それは人を喜ばせることだと思った。自分の絵を見て子供たちが喜んでくれる。その姿を見て、自分も嬉しい。こうして喜ばせごっこができることが本当に幸せだと書いてありました。私たちの仕事は心遣いや気遣い。もし人生が喜ばせごっこだとしたら、私ができることで人を喜ばせることができる銀座ほど楽しい場所はありません。お見送りもそうですが、喜ばせごっこは人生のなかで皆がやっていることだと思います。小さなことかもしれませんが、毎日のちょっとした喜びの積み重ねが大切な日になるんです。夜の仕事と言われている私たちの仕事が良いのか悪いのかはわかりませんが、若いうちに男性でも女性でも色んな経験をして育っていくにはとてもいい学び場だと思います。

 開店10周年の2011年に「私から日本を元気にする。私から笑顔の連鎖を作る」という新年の抱負を掲げました。奇しくもその年の3月に東日本大震災が起きたんです。お店には地方出身の子もいましたから、親元に返すためお店を1週間閉店。東京でも食べ物や飲み物が不足するなど不安な日が続いていました。私は大阪に滞在していたのですが、考えた末、1週間後に東京に戻ってお店を再開することに。お客様も不安だったでしょうね。再オープンした日からお店はいっぱいで、売り上げも変わりませんでした。お客様に「大丈夫ですか?」と連絡してねと女の子たちに言うと、お客様の方から先に連絡がきたと言うんです。すごいなと思いました。それはお客様と良いお付き合いをしている証拠です。それからは、「私たちから日本を元気にする。私たちから笑顔の連鎖を起こす」という言葉が店の経営理念になりました。

銀座は故郷

銀座は故郷

元気な人に会うと元気になる。そういう波動を持っている人がたくさんいたらいいな。自分もそうなれたら、と笑顔で話してくれた


 銀座は私にとって育った場所であり、帰る場所です。海外から東京に戻ると、銀座のネオンを見てようやく落ち着きます。ネオンを浴びないと元気がなくなってしまうんですから、もう故郷みたいなものですよね。

 私が思い描いていた銀座は10歳の時に憧れた架空の世界でした。でも、18歳から銀座で働いてきて確実に言えるのは、素敵な人たちとたくさん出会うことができて、間違いなくその頃よりも銀座が好きになったということです。もちろん嫌な思いをしたこともありますが、それ以上にお客様や銀座で出会った多くの方々に大事にされてきました。変わっていると思われるかもしれませんが、私にとってお客様は友達よりも親しく、大切な存在です。たまにしか会わない友達と違い、お客様とは長い付き合いのなかで本当に色々な話をしますので、それこそ家族構成から愛犬の名前まで何でも知っています。今でも私の誕生日パーティには18歳の頃から知っているお客様も来てくださるんですよ。なので、長年可愛がってくださるお客様から接待や大事なお願いをされると、いつでもお役に立ちたいと心底思います。

 好きなことわざは、1つの出来事に右往左往しないという意味で「人間万事塞翁が馬」。一喜一憂しても結果は最後にならないとわかりませんから、人生振り返って色々あったけれど、生まれてきて良かったと思いたい。100歳まで生きて、「また日髙利美として生まれてきたい」と思える人生を送りたいですね。

 来年には日本のやまとなでしこの心を伝えるための協会を立ち上げる予定です。お店の女の子を育てるように広く銀座の外に向かって発信していくためにライフワーク的に活動していきたいです。

 この歳まで自由に生きてきたので今でも充分に幸せですが、結婚相手が見つかれば子供を産んで、母親にもなりたいですね。どなたか私のこともらってくださらないかしら(笑)。


銀座クラブ経営者 日髙利美氏

Toshimi Hidaka■1975年鳥取生まれ。6歳まで大阪、父の仕事で6歳から東京で育つ。1992年、品川女子学院を中退。18歳で銀座のママになるべく働き始める。2001年、クラブで銀座8丁目の並木通りで会員制バーラウンジ・ルナピエーナをオープンし、クラブオーナーとなる。現在は複数の会社を経営する実業家としても活躍する一方、国内外で幅広い世代に向けたセミナーや講演活動を行っているほか、ホスピタリティーをテーマにサービス業、飲食業などへの研修、コンサルティングも行っている。著書に『いつ、誰が相手でも必ず盛り上がる銀座の雑談手帳』『99%の新人が3カ月で知性と気配りを身につける銀座の教え』などがある


2016年10月号掲載