Sully

Sully
©Warner Bros. Pictures
キャスト
トム・ハンクス、アーロン・エッカート他
監督
クリント・イーストウッド
上映時間
96分
Rating
PG-13(MPAA)
公開日
2016年9月9日全米ロードショー
配給会社
Warner Bros. Pictures

乗員乗客155人の命を救った機長 ヒーローかそれとも...

乗員乗客155人の命を救った機長 ヒーローかそれとも...
©Warner Bros. Pictures

 『Sully』( 邦題:ハドソン川の奇 跡 ) はクリント・イーストウッド監督の最新作だ。2009年1月15日に起こったUSエアウェイ1549便を両エンジン停止でハドソン川 水面に緊急不時着させたチェズレイ・〝サリー〟・サレンバーガー機長の話だ。

 この映画はハドソン川緊急不時 着成功そのものを再現しようとしているのではない。155人の 命を救った奇跡の後、NTSB(National Transportation Safety Board) はサリー機長の判断が正しいものだったのかを追及する公聴会を開き〝アメリカン・ヒーロー〟 と偉業を褒め称えられた機長を容赦なく追い詰めていく、一般には知られていなかった〝奇跡のその後〟を見せている。サリー機長自身「色々な人の人生を変えた〝ハドソン川の奇跡〟の顛末を知ってほしかった」と言う。

 離陸してまもなく突然カナダグース〈カナダのガン〉の大群が眼前に現れた。その群れの距離はフットボールフィールドを3つつなげたほどだったという。 鳥たちが左右のエンジンに吸い込まれエンジンは破壊され作動停止。急速に高度を落としていく1549便を最短距離にある空港まで飛ばせないと判断したサリー機長は、マンハッタンの乱立する高層ビルを避けてエンジン出力なしのグライディングでハドソン川水面に緊急不時着水する決断を下した。その時の管制塔とサリー機長との交信は、そのまま映画の中の台詞として使われている。

 「メーデー、メーデー」と緊急事態発生の通報から始まって、管制塔からの「ラガーディア空港に戻れるか?」の質問に「unable (それは無理) 」と一言で答える機長の返答から管制塔の指示を待つ時間さえなく、すべてが機長の即断にかかっていたことがうかがえる。ハドソン川緊急着水という航空界前代未聞の判断は、乗客150人とクルー 5人の合計155人全員の命を救う奇跡に繋がった。水面にタッチダウンする角度が完璧でなければ機体は衝撃で真っ二つに折れる、あるいは水中に頭を突っ込み、そのまま沈んで行くなど最悪の事態を招く可能性があった。この前後の臨場感と危機感は画面から生で飛び出してきて観る人を巻き込む。

 イーストウッド監督は水泳コーチとして軍に入隊していた21歳の時に、シアトルからサンフランシスコの基地に戻る古い戦闘機に便乗し、太平洋上に緊急不時着した恐怖体験をしているそうだ。「水面緊急不時着を体験したディレクターはハリウッドには僕以外にはいないだろう」と真面目な顔で言ったと聞くが、その時の体験がこの場面に生かされているのだろうか。観る側は結果を知っているのにハラハラ、ドキドキしてしまう。

トム・ハンクスがストーリーに惹かれ、なり切ったサリー機長とは

トム・ハンクスがストーリーに惹かれ、なり切ったサリー機長とは
©Warner Bros. Pictures

 「退職してから楽しみのためにしか操縦しなくなった」と言う〝サリー〟・サレンバーガー機長に会う機会があった。「 無口でストイックな男」と自分を表現する彼は、優しい眼をした長身の紳士だ。この役をやるためにかなり体重を落とし細身になったトム・ハンクスがいかに隅から隅までサリー機長になり切っていたかが、本人を前にしてさらに納得できた。ハンクスはこの役の打診があった時、『The DaVinci Code』の第3弾『Inferno』の大変な撮影中で、「ちょっと疲れているからなぁ」と躊躇したそうだ。ところが脚本を読み始めて17分後に『Inferno』の撮影現場ブダペストからイーストウッド監督に電話をかけ「撮影はいつから?」と聞くほど、サリー機長のストーリーに惹かれてしまったそうだ。「サリー(機長)は名パイロットらしく、凡人の僕らが何でそこまで?と思うほどディテールに注意を払う。何も見逃さないし、訂正されてるまで引かない(笑)。彼と脚本を挟んで過ごした時間は大変なものなんだ」と笑うハンクス。

 「鳥軍団と真っ向から衝突しエンジンの出力が落ちた瞬間に、〝大変な事態になった〟と血が凍る思いが全身に走った」と教えてくれる。最初の何十秒で、〝人生最悪の事態に直面している〟と理解し、速まる心臓の鼓動を感じたそうだ。これは機内にいる人たち、彼らの家族、多くの人の人生を変えてしまう事態だと悟った瞬間に雑念は消え去り、 年間の経験と常日頃の訓練 とパイロットとしての教育に基づいた集中力と冷静さを取り戻した。 直感的に、必ず最悪の事態は避けられると確信した。水面不時着の訓練は紙の上だけだったし、今まで誰も経験したことがないから何がベストという例もない。すべてサリー機長の長い体験からくる勘と手腕、副操縦士とのチームワークにかかっていた。「出来る!」と信じて疑わなかった。

 ガンの群れに出くわしてからハドソン川に緊急不時着するまでに、何と208秒しかなかった。「考えてる暇はなかった」と冷静に語るサリー機長。無事着水できれば飛行機が沈むまでに全員が脱出するだけの時間があることも読んでいた。ニューヨークの1月は寒い。気温は零下でハドソン川には氷が浮いていた。

 結果はまさに“奇跡”だった。ところが世界いが拍手喝采したその“奇跡”の5ヶ月後に「空港に戻れたのではないか?」という厳しい調査が開始された。それが1年半も続いたのは航空業界内部でしか知られていない。“真実追及”の過酷な詰問が続いた。「42年間の仕事への献身と業績、努力が208秒間に起こったことで、すべて水の泡となってしまう可能性に悔しくて眠れない夜もあった」と静かに語る。公聴会での執拗で無礼な審査官たちからの質問と、サリー機長の冷静で自信を持った返答。この時のハンクスが素晴らしい。サリー機長は本物のヒーローだと拍手を送りたくなるエンディングだ。


中島由紀子

Yukiko Nakajima■ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト。ハリウッド外国人記者クラブのメンバーとして、20年以上に渡り、世界中でスターの取材を続けている。ゴールデン・グローブ賞への投票権を持つ、3人の日本人のうちの1人


2016年10月号掲載